養成講座受講者のエッセイ

1期生のエッセイ

後藤先生

カタカムナ音読との出会いは、今14歳の息子がまだ赤ちゃんの頃。

自然育児友の会のイベントで松永先生のブースに寄らせていただいことがきっかけでした。

シュタイナー、モンテッソーリ 、フレネ、ホームスクールやフリースクールなど、様々な教育法を試しましたが、家庭教育のベースに常にあったのは、松永先生のカタカムナ音読でした。

 

カタカムナ音読で日本語の土台ができていたので、子どもたちは、主体的に、知的探求を縦横無尽に楽しんでいました。恐竜、爬虫類、中国史、中国古典、日本語古典、近現代史、物理や科学、音楽など、時に深掘りしたり、範囲を大きく広げたり、日本語というツールがあれば、子どもたちは、主体的に、どこまででも学んで行きます。

 

子どもが自ら主体的に学ぶので、親は本当にラクチンです。

私が子どもたちにしてあげたことは、食事を整えて身体をすこやかに保つことと、学習指導要領や評価やテストといった学びの制限を外して、子どもたちが自由に探求できるように教育環境を整えただけ。

こどものいのちが喜んでいる。そのいのちの輝きで、私自身も癒され、生命力が湧き上がる。そんな風に感じられる14年間でした。

 

こんな風に、こどものいのちの輝きで癒される子育てを、多くの若いお母さんたちとシェアしたい、というのが、音読指導者陽成講座受講のきっかけです。今後は、おひさまのおうちで、「赤ちゃんと一緒にカタカムナ音読会」を定期開催していきたいと思います。

山田先生

偶然でした。松永先生のblogを拝見していたとき、養成講座の告知が目に入りました。本当に直感で参加しなければと感じました。ウイルス感染が始まってから塾での音読を控えていたため、音読力がかなり錆びついてきている自覚を持っていました。2006年にもV–netにおいて音読指導者養成講座がありました。その時も参加して多くのことを学びました。それ以来、途切れることなく音読指導を続けた結果、子どもたちへの音読の効果はすでに実証済みでした。(具体例をあげるとかなりの文字数になってしまうため禁欲します)先生もおっしゃっている通り、この音読法の独自性の一つは古代から現代まで時代を追った配列でおこなう点であると考えています。もちろんカタカムナ音読や指導者の観察力等、先生の指導の特長が他にも多々あることは承知しているつもりです。以前松永先生の指導を受けている時に「言われてみるとその通りなのだけれども、言われるまで気がつかない」という経験を何度もしました。私自身はこのことを「知の分厚さ」と勝手に命名しています。今後、一つでも自らこの分厚さを獲得したいという目標が展望でありましょうか。

 おそらく少しずつ題意からずれてきているためこの辺りで終了しようと思います。

今回の参加で子どもたちのために地域で活動されている方々が広範囲でいることを知り本当に勇気をいただきました。どうしても普段はタコツボ状態のような中で仕事をしているため、不安感を抱えていました。教育の現状について吉田松陰の草莽崛起を連想してしまうほどの崩壊感を感じる一方で新しい営みが起こりつつある期待感もこの4ヶ月の活動を通じて強く感じることができました。本当にありがとうございました。

柳田先生

音読の始まりは子供が幼稚園の頃松永先生の講演でカタカムナの音読をしたことがきっかけでした。

その頃子供たちは楽しそうに暗唱をしていたのですが親が仕事で忙しくなったのを理由にいつの間にか中断。そのことが気になっていました。そのため今回の案内を読んで今度こそ、という思いで再スタートしました。

子供は小学5年。もうあの時のようにやらないかと思っていたら思いのほかノッてきて自ら進んで音読して暗唱。

 

こちらも楽しくなって一緒に読んでは気になることを探究していきました。子供たちも自ら進んで大鏡、東海道中膝栗毛、たけくらべなど読みだしたり、作者のこともどこかで調べてきて、食事の時間に語ったり。気づくとみんなで古典で盛り上がっていました。

 

夏休みの作文も先生に教わったスタイルを教えたら子供たちは原稿用紙四枚をスラスラ書いていました。

 

音読効果といえばそれだけではなく大きな声を出していたら、最初やや詰まっていた声がスッキリした声、遠くに響く声に変わっていき音読後に清々しい気分になるのを感じています。

 

その後は恐らく喉のあたりにある第五チャクラが活性化されてきたようで身体のエネルギーの流れもよくなり、身体もスッキリ。頭スッキリ。言葉もスラスラ浮かびやすくなり自分の思いを表現するのがスムーズになってきました。

 

子供たちの受験、自分の仕事もあるため今すぐ教室をやる、は考えていませんが今この瞬間を家族で楽しみながら広げ深め、いづれ他の方にもお伝えしていけたらと考えています。

先生、皆様、ありがとうございました。

 

曾禰田先生

私が初めて「カタカムナ」の存在を知ったのは、18歳ごろでした。
オカルトコーナーの一角にあった書籍に「謎のカタカムナ文明」の文字を見つけ、興味を持ちました。と言うのも当時の私は、オカルトを含む精神世界全般に興味があり、変容する心身に対して憧れがあったからです。

 楢崎皐月氏の様々な不思議な話など、興味を持ちつつ、ウエイト室で体を鍛えていたりしました。
やがて、ほのかな興味は持ちつつも特に深めることもないまま上京、大学生となり武道の稽古を本格的に始めました。その間も、古代文明などへの興味は続き、30歳を過ぎて天真体道に入門、稽古場を任されるに至りますが、そのうちの一つに西荻の「ホビット村学校」がありました。

 案内を見て「カタカムナ音読」が別の曜日にあることを知りましたが、ご縁は繋がる事なく、カタカムナについて書かれている「相似象」などを斜め読みしているうちに、時間が過ぎました。
天真体道創始者・青木宏之師より剣武天真流師範を允可されると、任された稽古会の名前を「天正道場」として改め、活動を開始しました。
そこに、息子さんに稽古させたいと、後藤さん(後藤先生)がおいでになりました。
多くの分野に対し勉強熱心で、様々なことをご存知の後藤さんから、ある日「日本語音読養成講座」のお話を聞きました。
以前から、オンラインを主にして学習指導しておりましたが、効果的な学習方法として注目しておりましたので、この度申し込みいたしました。
発声法については、天真体道での研究もありましたが、別角度からの学びは発見することが多くありました。音読の効果と私自身の発見として最も顕著だったのは、稽古指導における話し方、号令の掛け方と、内容でした。お陰様で私自身の、数々の改善点を見出すことができました。

 古典を読め! とは創始者の青木師から指導者へよくされる指示ですが、古典が「身体に入る」にはやはり、音読が必要です。音読の機会が増えたことで、号令の余韻、間が改善されました。また、稽古における指示も通りやすくなったと感じます。
もちろんインストラクター養成講座中にも、なぜ(なんとなくではあるけれど)古典の意味がわかるのだろう? と不思議に思うことしきりでした。
学習指導の現場で感じるのは、皆一様に「かしこく」なるということです。「かしこくなりかた」は、もちろんひとりひとり違うのですが、指導を行った中で一番顕著だったのは2歳の女の子でした。ようやく言葉を覚え始めたばかりなのですが、カタカムナ5首6首をお母さんと唱和した後、「いろはうた」を一緒に音読してみると、あれよあれよという間に覚えてしまいました。
「ひとはかしこくなる」そしてより良く生きることができる。指導者養成講座受講後、強く感じております。
今後ですが、先に書きましたとおり私は道場を運営しておりますが、その道場の活動の一環として「松永式カタカムナ音読法」のクラスを設けました。さらに2クラスを2023年1月までに開設する予定です。また先日とあるイベントに出展して体験会を開きましたが、大変に好評で「継続的に学んでみたい」とのお声もいただいております。
カタカムナ音読、天真体道を通じて、「今より、より良く生きること、より賢くなる事は誰にも可能」であり、みんなより良くなる、より賢くなる可能性に満ちていること。またそうなろうとすることに、つい私たちが考えがちな制限や困難さ、多くの人が学校生活で感じたような息苦しさは存在しない。むしろそこには楽しさ、喜び、自由が溢れている。そんなことを伝えていきたいと思っております。
この度の指導者養成講座ご指導いただきました松永暢史先生には、この素晴らしいメソッドを開発して下さったこと、コースにおいて親しくご指導いただきましたこと御礼申し上げます。今後ともご指導いただけますよう、お願い申し上げます。
最後となりましたが、ご紹介いただき、ご縁を繋いでいただいただけでなく、様々なお手配に尽力された後藤さん、各種お手配を始め、講座の指導、松永先生のサポートを行なって下さった、前田先生はじめスタッフの皆様には心より感謝いたします。前田先生、スタッフの皆様、また講座を一緒に受けて下さった皆様、社会教育の一環として、皆様と共にカタカムナ音読法を世に知らせてゆくお手伝いができましたら、私にとり望外の喜びです。今後ともよろしくお願いいたします。

伊藤先生

①養成講座を受けたきっかけ
長年外国人に日本語を教える仕事をしてきました。その仕事も自分のアイデンティティ探し?の中で出逢えた仕事でした。(まだ仕事にならないような時期でしたので)
30年ほどいろいろな外国の方たちに教えてきて最終的に外交官研修で1:1での理想的な環境で教えることができました。そこで、私が気づいたのは教えたい相手は外国人ではなく日本人だという事でした。日本人に日本語について伝えたいという想いがムクムクと大きくなってきていました。
仕事を辞してメンタルコーチ、日本語のコミュニケーショントレーナーというタイトルを創り、活動をしてきました。日本語のコミュニケーションを扱ううちに、音を出す身体と日本語の音の関係などに興味を持つようになり、自分の身体を使って古武術、ボイトレ、イタリア歌曲、謡などを学んできました。古武術の先生のご縁で松永先生の荻窪のカタカムナ音読の講座に出逢い、以来ご本やブログなどを通じて先生のなさる音読を見学したいと常々おもっていたところ、この音読指導者養成講座ができたのを知り、まずは自分の身体を使って古典音読を体感したいと思い、参加を決めました。

②音読の効果について
4か月の研修を終えて、人体実験で大人でも古典を訳さずに楽しめるという先生の言葉を実感しています。そして、一番気づいた変化としては文章が書きやすくなったことです。
メルマガ等を書くときにはけっこう時間がかかっていましたが、今はアタマに浮かぶことばを書き進められるようになりました。そしてその文章を少しおいておいてあとで読んでみてリズムのよいように言葉の順番を換えたり、もっとリズムのよい言葉を捜すなどしています。そのおかげで書くことが楽しく思えるようになっています。
また、自分が好ましいと思っている文章はリズムのよい文章だと気づきました。

 

③今後の展望
親子向けに、幼少教育をしている友人のところで音読をやらせてもらう予定です。
そしてフリースクールでは日本語のクラス(すでにあるクラスでカリキュラムにも多少関わらせてもらっている)に音読を加えさせてもらい、古典から通時的に日本語の音を体感してもらいながら、同時に共時的に現在私たちが使っている日本語を世界の中の言葉としてみた時の特徴などについても情報を提供したいと思っています。世界の中の日本語についてよい音を身につけながら、ほかの言葉を学んでいくときの準備にもなるような日本語のクラスにできたらと考えています。

また、同じような内容を大人向けにも提供していきたいと思っています。
大人向けには古典音読を通して本来日本人が受け継いできた日本語の音を古いものから順番に学ぶことにより日本語を母国語にする人として誇りを持って日本語を発信できるようになる、そんな体験を多くの人たちにしてもらいたいと思います!

また、外国人の日本語教育にも初級に音読を取り入れられたらいいと思います。特に移住した人たちの子弟のためには音読から学んでもらう方法は効果的だと思います。
母音の数の多い言葉を使っている人にとって私たち日本人のあいまいな発音は聞きにくいと思います。よい発音を耳に入れて読み書きにつながれば異文化理解も進むのではないかと思っています。

やってみたいことがたくさんありますが、とにかく一人でも多くの人たちに簡単にお金もかからない方法でよい音を出すことを体感してもらい、現在の私たちが受け継いできた誇れる日本語を自分の一部として味わいつつ、自分の考えや感じたことを率直に言葉にできる人を増やしていきたいと思います。
下り坂と言われるニッポンに仕合わせな社会が実現できますように。

水田先生

8年前から3年間、おひさまのおうち主催のカタカムナ音読講座に、当時8歳、4歳、0歳の子どもを連れて参加しました。下の子どもたちはその場で遊んでいたり、おっぱいを飲んだりしているだけでしたが、上の娘は私と一緒に音読をしたり、書いた作文を皆の前で読んだりしていました。毎回家で作文を書かせようと、私は娘を急かして焦っていましたが、娘はマイペースでなかなか書こうとせず、気づいたら白紙のノートを持って、堂々と作文を発表するようになっていました。

私自身が子供のころから塾に通っていて、桜蔭、東大と進学したものの、自分が何をやりたいかが分からず、勉強以外の部分が大事だなと漠然と思っていました。それでも、娘の同級生がほとんど塾に通う中、塾に通わないという選択は勇気のいることでした。

結局娘は松永先生のお世話になり、塾にはほとんど通わずに、公立中高一貫校に合格しました。元々娘は口が達者だったので、音読の効果を感じたことは特になかったのですが、この時初めて(娘の国語力はカタカムナのおかげかな?)と思いました。

また、男の子には言葉が伝わらないというイメージがありましたが、息子たちとはきちんと言葉のやり取りが出来るところに、カタカムナ音読の効果を感じています。

私自身、学校の先生に手紙を出すときなど、自分の中から言葉が出てくるようになったことを感じています。

今、多くの子どもたちが塾に通うのを見ていると、子どもを塾に通わせることが、いい親であることの証であるかのように思えます。サッカーを一緒にやっていた友達が、塾通いで次々と辞めていく姿を見ていると、塾に通う以外の生き方はないのかなと思ってしまいます。

主人が会社勤めに疲れてしまい、「自宅で塾をやりたい」と言い出した時に、「子どもに教えるなら、カタカムナからだよ!」と、迷わず指導者養成講座を受けることにしました。

子どものために親が出来ることとして、とりあえず塾に通わせる、以外の選択肢があることを伝えたいと思ったからです。

主人は今後しばらくは会社勤めを続けることにしたので、自宅を塾にする話は保留になりましたが、来るべき日に備えて、まずは子どもの友達で、興味を持ってくれる人に音読を伝えていきたいです。

村上先生

養成講座を受けようと思ったきっかけは、3月におひさまのお家で開催された松永先生によるカタカムナ音読法のワークショップを取った時に実感したたくさんの学びがあり、それをぜひ自分の子供にも教えれるようになりたいと思ったことからでした。

それまでは松永先生のことは全く知る機会がなく、音読や、一般的に教育法というものにもともとあまり興味はなかったのですが、松永先生の教育への考えに共感するところがとても多く、また発音をしっかりやるという本当に基本なことが、人間が生まれたときに備わったありとあらゆる本当の能力を引き出す方法であるのだということにカタカムナの発音方法を実際やってみて感じました。

この養成講座で教わった「あいうえお」という日本語の基礎となるものは現代の日本語からは本当にかけ離れたもので、練習するだけで最初は顎がいたくなるほどでした。

でもこ松永先生の教える「あいうえお」の一つ一つをやることによって、自分を通じて自分の耳をも育てているのだなと実感しています。うちでは子供を3ヵ国語(日本語、英語、フランス語)で育てているのですが、子供には私にはない微妙な音、発音を上手に聞き分ける能力が備わっています。カタカムナを始めてから、私も少しその能力が上がったと実感するようになり、微妙な音の違いがわかりまた発音できる容易な耳・口になってきました。(また子供にも私のフランス語の発音が良くなったと言われました!)

この講座でまた日本語の美しさを体で味わうという今までしたことのない経験もできました。意味を解読するのではなく、古文の音、響き、そしてそこに浮かんでくるイメージと、感動的な美しいものがあったとは・・・。本当に言葉を今までと違った次元で楽しめることができる時間でした。

今の私にできることはこの美しい言葉と感性が備わった日本語を正しく日々使うこと。それだけでも大きな課題になりそうだなと思っています。この養成講座から学んだことを活かして私はこれを子どもたち、そしてご年配の方にも、口を動かし、顎を動かし、響きを楽しむということだけでも味わっていただけたらいいなと思っています。

原先生

①「養成講座を受けたきっかけ」

私は数年前にV-net教育相談事務所の一員となり、教育活動を続けていく中で松永先生の教えに触れておりました。前田先生が一般社団法人EDORG JAPANを設立されて、全国に向けて松永式メソッドの講師を育成するということで、「これは絶対面白い展開になる!このチャンスは見逃せない!」と思い、受講を決定しました。

 

②「音読の効果について」

私たちが音読したのは『カタカムナ』の超古代語に始まり、古代の『古事記』や『古今和歌集』、中世の『平家物語』や『徒然草』、近世の『本町永代蔵』から近代の『学問のすすめ』、果ては『教育勅語』に『日本国憲法』と、まさに現代に続く日本語クロニクルでした!

 

超古代から連綿と続く私たちの言語がどのような変遷をしてきたのか、しかもそれは時代の変化による漫然とした変容ではなく、先の時代を生きた天才たちによって創作され、それが後の時代の人々の言語に影響して成立していった、人の営みの産物であるという当たり前の事実が、音読することでよく理解できました。

しかも私たちは言語の歴史というこの国の経験を、その時代の文章を音読するという行為を通じて、一個人の中で追体験することができる、これは驚くべきことだと感じております。

 

この効果は何よりもまず受講生である私たちの変化という形で現れました。

回を追うごとに皆さんの発声が目まぐるしく向上していく、それも声が綺麗になったとかそんな単純なことではなく、一人一人の声が共鳴し、ひとつのウタイとして作品の世界が立ち上がってくるような体験には感動を覚えました。

地理的、歴史的背景知識を整理した上で、この音読を続けていけば子どもの頭は間違いなく良くなる、これは受講生の間ではよく了解されることと思います。

 

この私の感動と、この音を子どもたちに伝えること、それは意味のある仕事であるように思えます。

 

③「その後の展望」

私は今回の講師養成講座を受講して、改めて日本語の音読を子どもたちに続けていこうと決意を新たにしました。

この音読の輪を全国に広げていきたいです。

 

全国で音読の活動と趣味のカヌーを続けることができるような、理想の未来の実現に力を尽くしていきたいと思っております!

石田先生

昨年の11月頃のこと、千年後の子孫たちに何が残せるのか?そんなテーマを掲げて『千年のしあわせ』と言うワークショップを以前一緒に主催した伊藤さん(伊藤先生)と久しぶりにZoomで話す機会があった。お互いの近況等を話していると、『カタカムナ』と言う共通の話題が出て来た。『カタカムナ』についてはいろんな書物が出ていて、一部の間ではでっち上げのインチキと言われたりしている。

私の中では、その不思議な成り立ちを含めて何かとても氣になるものとして、興味の赴くままアンテナを張っていることを話すと、伊藤さんからは『カタカムナ』の音読で、子どもたちの学力を飛躍的に伸ばしている家庭教師の先生が書いた本を紹介された。川上から川下へ、古典を音読して学んでゆくと、その後の現代文が楽になり、国語力が育まれると結果他の教科の成績も自ずと良くなるとのこと。学生の頃古典も漢文も大嫌いだった私には、にわかに信じがたいことだったが、日本語の最も川上となるのが『カタカムナ』であると聞いて俄然興味が湧いてきた。早速、伊藤さんからは紹介された本、「未来の学力は『親子の古典音読』で決まる!」を購入して、本で書かれていることが本当かどうか、二人の人体実験を始めることにした。伊藤さんが既に購入していた、本の作者松永暢史先生のDVDを基に、週二回Zoomを繋いで、まずは音読の基礎となる母音と子音の発音の練習からスタートさせる。一緒にワークショップを主催している頃から二人共「音」には敏感で、「共振・共鳴」にこだわっていたので、DVDに合わせて発声するのは思いの外楽しい時間だった。回を重ねて母音の音を探求してゆくと、不思議なことに周りの人たちの発音や、発する言葉により敏感になるのを感じた。特にお仕事で接する若い人たちのいい加減(?)な発音が氣になるし、相手の言っていることを聴き取る力がかなり後退していることに改めて驚かされる。時代の移り変わりの中で、日本語がある程度乱れるのは致し方ないこととやり過ごしていたが、実はあらゆる問題の根底となり得る深刻な「歪み」となっているのでは思うようになった。

 

昨年末から始めたDVDによる二人の人体実験。動画の中で、何回も松永先生からダメ出しされてもめげずに頑張る小笠原君に励まされながら、回を重ねて2、3ヶ月経った頃「いつかDVDである程度音読をマスターして、松永先生に会えたらいいね。」と話していたら、何と4月から音読指導員養成講座が始まると案内が届く。動画の中の松永先生か直接教われるチャンスが、そんなタイミングでやって来るとは。これは受講しなさいと言うなのか?まぁ、受講料も何とかなるでしょうとエイヤット申し込み、伊藤さんと一緒に音読道場の門を叩くこととなった。

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②音読の効果について

 

普段何氣なく使っている日本語。あまりに当たり前過ぎて、その特徴や魅力などを意識したことは無い。寧ろ文法が、他の英語や仏語などとかけ離れているからこそ、日本人の外国語の習得が困難になっている厄介な言語としか思っていなかった。が、実際松永先生の発する音に耳を傾け、カタカムナを始めとする古典の音読を進めて行くと、日本語に対する考えが一変してしまう。何と奥深い響きを持った、美しく、魅力的な言葉なのだろう。真の響きを捉えて、みんなで音読して共振・共鳴する氣持ち良さは格別だ。「音」を知る事で世界が広がる。「音」の中に当時の様子や場面が織り込まれていて、音を再現することで、作者たちの息遣いさえも伝わってくるような感覚になる。千年前の私たちの祖先との邂逅である。何と厚みのある言語なのだろう。二千年以上の長い歴史の中で積み重ねられ、語り継がれた言葉がここにあるのだ。

私たちの祖先は、音の響きからあらゆる意味を汲みとり、大自然の一部である生命(いのち)の無情さや儚さ、今のここに発露するものの正体を見事に捉えて、5つの母音を響かせる。シンプルであるが故に、底が見えぬ程の深みのある美しい世界を描写して教えてくれる。まるで大海原の真ん中で漂う小舟のような小さな自分の存在に心許なさを感じる一方で、そんな言葉を生み出し育んだ日本人の一端である喜びと誇らしさを感じる。

古典を触れることで、こんなにも世界が広がるとは、想像を遥かに超える収穫だった。子どもの頃に触れられたらどんなに良かったか、学生の頃古典嫌いだった私は心底思う。この素晴らしい音読の世界をあらゆる人たちと共有したいが、特に子どもや若い人たちに知って欲しい。日本語の奥深さや、繊細な感覚に触れることで、私たちのDNAにある古来の知恵を掘り起こし、本来持ち合わせている各々の個性を発揮させることで、この混沌とした時代を共に切り拓いていけたらと思う。

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③その後の展望 

 

7月に音読指導者養成講座を修了してから、一ヶ月経った。子どもの国語力を飛躍的に伸ばす究極のメソッドを使って、誰と、どうやって遊ぼうか?いろいろ想いを巡らせている。

 

誰と?

・お腹に赤ちゃんのいるお母さん

・小さなお子さんとお母さん、お父さん

・小学生や中学生の子どもたち

・学校の成績を何とかしたい親子…

 

このメソッドの発案者は、長年、家庭教師として活躍されて来た松永暢史先生だ。多くの子どもたちと向き合って試行錯誤を繰り返しながら生み出されたものなので、他の学習塾や進学塾に例を見ない素晴らしい実績に裏打ちされている『究極のメソッド』であることは間違いない。(詳しくは、こちらの本を読んで頂きたい。)

 

だから、いろんな子どもたちや親御さんと一緒に体験して遊んで欲しいと思っている。

 

そして、親子向けだけではなく、

私のように古典の授業が嫌いだったけど…日本の良きモノに触れて、マンネリ化した日常に彩りを取り入れたい年齢に関係なく好奇心旺盛な素敵な大人たちにもぜひお勧めしたい!!

 

「言葉」の認識が変われば、

「思考」が変わる。

 

「思考」が変われば、

「行動」が変わる。

 

「行動」が変われば、

「習慣」が変わる。

 

「習慣」が変われば、

「人生」が変わる。

 

今の「言葉」の成り立ちとなるカタカムナを始めとする素晴らしい古典文学に触れることで、日常の「言葉」の認識が変わり、自ずと「思考」も変わり、その影響は私たち大人にとっても大きなものとなる。

 

実際、私自身、自分の行動が少しずつ変わって来ているのを感じている。

 

こんな面白い遊び道具は中々無いと思うが、どうだろう。

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金先生

今回の講座のことを知る前はカタカムナというものの存在もその名前を聞いたことがあるという程度でした。体験の機会にも都合が合わず参加できなかったのですが、少し聞いてみたところではとても神秘的な感じを受けたので、どんなお話が聞けるのか楽しみでした。

また、これまでもスペイン語、日本語、英語と何かしらの形で語学を教えることに携わってきたので、なにか新しい視点を得られるかもしれないとも思っていました。さらに、今自分の子どもたちが学校に通わない自由な教育を選んでいることもあって、語学だけにとどまらず物事を学んでいくための方法にはなんでも関心がありました。

我が家では寝る前に絵本や児童書の読み聞かせをしているのですが、講座を受け始めて少しすると自分が以前から発音しにくいと思っていた言葉がそれほど気にならなくなったように感じました。小学3年生の娘とも自宅でカタカムナ音読を復習していましたが、すぐにとてもたどたどしかった音読が少しスムーズになったようでした。家では引き続き取り組んでいこうと思っています。

この夏からこどもたちの家として、乳幼児親子や小学生、中学生、もちろん協力してくれる大人たちも、様々な人が立ち寄って交流できる場所をオープンしました。その場所でも、立ち寄ってくれる人たちと取り組んでいきたいと考えています。小さい子どもたちが親子で遊んでいる合間などに少しの時間カタカムナ音読に取り組むコーナーを作ってみるのもいいかなと思っています。

様々な人と気軽に取り組みながら変化を楽しんでいければと思っています。

平居先生

日本語音読指導者養成講座への参加経緯は3つあった。

 

一つには、この養成講座を開講し、指導にあたるというのが松永暢史先生、その人だったからである。

 

ベストセラーとなっていた松永先生の育児書、教育本のいくつかは既に読んでおり、感銘を受け、自身の子育ての参考とさせていただいていた。

 

また、以前の小学校、学習塾勤務時代の実体験から、松永理論の妥当性は身をもって実感もしていた。

 

今まで、教育関連の書籍は数百冊は読んでおり、松永先生の著作はその中でも5本の指に入るほどのインパクトがあり、かつ、読み物として純粋に面白かった!

 

その本の中には、まず、自身が現場で培うことでしか手に入れることができないであろう、血の通った理論があり、そして、理念が感じられた。

 

なんといっても、学生の時分より現在に至るまで47年間、家庭教師のアルバイトを、食いぱっぐれることなく、継続させ、家族を養い、家まで建てたというのだから、たくさんの子供たちを教え、導いてきたその手腕と実績はもはや疑いようがない。

 

そして、受験のプロとしてだけでなく、この松永理論は単なる受験テニックには収まることない、普遍的なヒトの能力開発メソッドの可能性に非常に浪漫を感じた。

 

また、根源的な学びの愉しさに満ちていて、自分にとって相性が良かったということもあるのだろう。

 

なにより、やってみて「面白れー」ということに尽きる。

 

やっていて、つまらなかったり、面白くなかったら、いくら良いと言われるものでも、継続は難しい。

 

それがそこらの凡百の教育書、育児書に書かれているメソッドと異なる点でもあった。

 

この松永理論を参考に、自分の独自の理論も織り混ぜながら、一人娘である長女の子育てを現在に至るまで行ってきた。

 

おかげさまで、娘は今年、都内にある国立大付属中に入学が決まり、現在、楽しそうに学校生活を送ることが出来ている。

 

松永理論なくして、できなかったことであったと実感している。

 

松永理論の根幹にある「音読」そして「焚火」は自分も大好きで、娘が小さなころから、ことあるごとに、キャンプや焚火にでかけ、音読も一緒によくやっていた。

 

ただ、音読に関しては、今回、参加した日本語養成講座で学んだ系統だった古典音読ではなく、自分の好きな中島敦や小林秀雄の評論、シェイクスピアやゲーテの一節を娘と一緒に声に出して読む程度であったので、今思うと、音読というよりも、素読に近かったのかもしれない。

 

そんなわけで、松永メソッドを開発者から直接、指導を受けられるという講座の開設は自分にとって、非常に魅力的であった。

 

そして、講座参加への二つ目の経緯としてあったのは、カタカムナへの興味、関心だ。

 

この日本語音読メソッドの根幹には、カタカムナの謡いがあるときき、それを体験したく、参加を決めた。

 

カタカムナという言葉をはじめて聞いたのは20代のフリーター時代で、カタカムナの図像がある日、突然、脳裏に写しだされ、人外のメッセージを受け取るようになったという怪しい人物と出会いがきっかけだ。

 

当時の自分よりも10歳くらい年上で、ダメージジーンズに革ジャンのミュージシャン然とした40代前後の人物だったのだが、実際にギブソンのギターでブルースを弾いたりと、ギターも上手だった。

 

アスリートやアーティストのトレーナーをしているとのことで、食や運動を通じた健康に関する話をしてもらったことがあるのだが、話が終わると当の本人がマルボロの煙草を美味そうに吸いながら一服しているので、胡散臭せえ人だなあと思いもしたが、自分が好きではないスピリチュアルや精神世界界隈の住人とは違った空気をまとっていたこともあり、カタカムナの図像が伝えたという主に人の健康に関わる情報を気が向くと聞きに行っていた(ただ、実際に事務所にお邪魔した時、バレエダンサーの草刈民代が来ていたり、プロレスラーや格闘家のセコンドについていたりするのも見て、認識は改まったのだが)

 

この人の話がまた、めちゃくちゃ面白く、昔、相当、やんちゃをしてきた不良だったということもわかり、健康方面や精神世界の話より、若かりし頃の武勇伝の方が面白く、話を聞いたことは、今でもいい思い出なのだが、もう少し、カタカムナのことを聞いておけばよかったなという思いがあった。

 

そんな過去の思い出もあり、カタカムナについて、あらためて知りたいという欲求がむくむくと芽生え、今回の講座参加への運びともなった。

 

そして、最終的に、参加のひと押しとなったのは、現在のコロナ騒動だ。

 

娘の受験もひと段落つき、いまさら音読の必要もないかな、と考えなかったでもないが、今回のコロナ感染拡大にまつわる日本中のバカ騒ぎをみるにつけて、これからの子供たちの未来のために自分のできることをやっていこうという思いが強くなってきた。

 

政治参加や社会活動も手段としてあるかもしれないが、自分の性にはあっていないことと何より、いい大人や老人のために貴重な自分の時間を使いたくないという思いがまず、第一にあったのだ。

 

突然だが、自分は教育は芸術だと常々、考えている。これは大学では芸術学部に在籍し、多少なりとも芸術をかじってきたこととも関係がある。

 

大学では映画学科に所属し、映画は文学、音楽、映像、演劇、あらゆる芸術表現の集積した総合芸術などと思っていた時期もあったが、ある時、教育こそが最大の総合芸術なんじゃねえのか、とふと考えた。

 

なんてたって、映画を作る者も絵画を描く者も曲を作る者も詩を書く者もみな、教育の恩恵を受け、自己の核となるその技、その思想を学び、育んできたのだからだ。

 

人を創るといったら、傲慢すぎるかもしれないが、その精華は最高にクリエイティブで、刺激的な作品とはいえないだろうか。

 

その確信は子育てを13年間をやってきて、ますます強まった。

 

今の世の中を見るにつけ、どうしようもなく、醜悪な匂いを発する人物をそこかしかで見ることが多い。

 

そして、それは今回の一連のコロナ騒動でますます、自分の中で浮き彫りとなっていった。

 

「思いやりワクチン」などとのたまいながら、若者へ毒物の接種を推し進める政治家、官僚、医療機関、マスコミ、老人たち、マスクをしろと強制してくる馬鹿、そして、それに安易に同調する大人たち。

 

自分も含め、その醜悪な匂いを発する愚民の一人であるが、腐臭を発することは最低限にとどめ、子供たちの嗅覚を麻痺させたくない。

 

身の程も知ったので、今さら、ゲバラやカストロのように革命を起こすことができるとは思ってはいない。

 

しかし、未来の世の中を変えていく、芸術的な子供たち、様々な分野で活躍する革命児たちがたくさん、出てきたら、この世の中はもっと、もっと面白くなるんじゃねえかなという欲望が湧いて出てきたのだ。

 

この思いが止まらないというのが、今の正直な気持ちでもある。

 

政治で変えるのではない。

 

つきつめると、教育でもない。

 

芸と術で世界を変えていくのだ。

 

では、その芸と術とはどのようなものであるべきなのか?

 

それは美しくもくそったれのこの世界を知るための術であり、生きてゆくための芸でなくてはならないと考える。

 

そして、今回、講座を受講し、この松永式日本語音読法は世界を知るための最良の術であることを実感した。

 

古事記より古いとされるカタカムナの謡いから音読に入り、日本文学の成立順にその精髄を味わい尽くすのであるから、世界を知るための術を手にすることができるのは、当然といえるであろう。

 

そして、それがやっていて滅法、楽しく、愉快な心持ちになるのだから、面白い。

 

前述のとおり、音読は以前からやっていたのだが、講座で学んだ「一音一音読み」「カタカムナ読み」「祝詞読み」「罵り読み」等、これだけ豊かなバリエーションの音読方法があったのかという驚きと共に、毎回の講義では、いい大人が十数名、大声で一心不乱に音読する姿をみるにつけ、これは阿呆になるための最高の訓練だなあ、我が事ながら感心した。

 

阿呆になりながら、当代一流の知性に触れ、身に沁み込ませてゆく。

 

最強の学習法を知った喜びがあった。

 

だから、もう最近はひたすら音読三昧ですよ。

 

講座で知った樋口一葉の文に魅せられ、日ごとに「にごりえ」「たけくらべ」と繰り返し音読していたら、家内や娘には白い目で見られる始末。

 

それほど、この音読には中毒性がありますね。

 

馬鹿に見られるのも結構。

 

ずば抜けて優れたものには、ある種の狂気を帯びているのですが、この音読にはそれがあります。

 

開発者の松永先生にしても、今でこそ好々爺の雰囲気を漂わせているが、時折、垣間見せるまなざしには同種のものを感じてならない。

 

要するに正しい狂い方を学んだ思いですね。

 

狂ってあちら側の世界に行ってしまったら、なかなか戻る事かないませんが、この音読を通して、容易にあちら側の世界にゆき、見聞きしたものを持ち帰り、こちら側の世界に戻ってくる。

 

薬物なんかに頼らず、逝きて還りし術を知ってしまったからには、そりゃ、たまりませんなあ。

 

さて、この術をいかに芸までに昇華させ、世の中によろこんで受け入れてもらえるかが、これからの勝負かと考えている。

 

術は一つでも芸は多様。

 

己の芸をつくり、磨いてゆかなければならないと思っている。

 

さて、どんな芸となるのやら。

 

今回、学んだ音読の手法だけを伝えて、ただ、賢い、聡い子だけを増やしてゆくの真っ平御免だ。

 

開発者もそんなことは望んでいないだろう。

 

10年後、20年後、一緒に酒を飲み、バカ騒ぎのできる子供たちへと、自分が学んできた技や術、芸を伝えていければと、今はそう考えている。

 

やりたいことは結構やってきたので、残りの人生はもう、そのことだけに費やしてもいいのかなとも、最近、なんとはなしに思っている。

松川先生

「私と娘の音読指導者養成講座講座体験記」

 

私の人生の転機は、後にも先にも娘を授かったことだ。

 

 それまでの自由な生活から一変して、初めて出会う社会の渦にいきなり「お母さん」として飛び込んでいき、暗中模索手探りで子育てをしていく中で、本当に沢山の方と知り合うことができ、私自身が一から学び直すような気持ちで日々娘の活動をサポートしてきた。また、人を「教育」することの難しさや、自分が受けてきた学校教育の矛盾点など、さまざまな疑問が生じ、彼女を通して社会の仕組みを改めて考えるようにもなった。

今回の日本語音読指導者養成講座は、私と同じように日本の学校教育に疑いをもち、子育てや教育についてよくお話しする娘の友人のお母様からの嬉しいお誘いだった。松永先生の著書は何冊か拝読し、娘と一緒に見様見真似でカタカムナ発声練習をしたこともあった。とても興味を惹かれたが、毎週通うのは厳しいのでは、と当初申し込みは保留に。だがこの大人向け講座に子供も参加できると聞き、当時自主的不登校中だった娘の居場所になれば、と考えたことが受講のきっかけである。

こうして、まるで何かに導かれるようにして、私と娘の音読講座体験が始まったのだ。あの時、娘が通常登校していたら受講していなかったのだから、まことに人の運命は紙一重である。

 

松永先生が考案されたカタカムナ音読法の素晴らしさは沢山あるが、世の中で認知されているどの教育法よりも優れていることがある。それはコストがかからない点である。気概のあるお母さんであれば、きっと講座を受講しなくても、道場に通わなくても、本屋で本を買い、先生の無料動画をどこかから探してきて、自宅ですぐに子供と一緒にスタートできる。それでも続けることで効果はあるだろうし、子供への最高のプレゼントになるはずだ。

私がなぜコストに拘るのかというと、教育とは本来無償で受けられるものだからである。お人好しの日本の親たちは、自分たちの首を絞めるくらい教育費が肩にのしかかっているのに大多数の人間がおかしいとは言わない。もっと多くの親たちが目覚めてくれるといいのだが。

例えば松永先生が西荻窪で主宰されているV-net教育相談事務所は音読の他に算数や作文などを包括的に学べる寺子屋のような場所で、いくつもの教室を掛け持ちしなくても、ここで済んでしまうのでとても合理的だ。子供たちだって好きなことをする時間が取れるだろうし、教育とはこうあるべきである。

さて、具体的なカタカムナ音読法の効果としては、松永先生から徹底的に叩き込まれる発声方法に秘密があるだろう。これは画期的な方法で、古の文献から伝承されたカタカムナウタイを読まれた先生が「日本語とは本来一音一音に意味があるのではないか」と発見し、実際に子供たちに一音一音切って読ませると、難しい古典をスラスラと読めるようになっていったのだ。それだけでなく、読んでいて意味まで伝わってくるのだから驚きだ。

私自身も古文の授業は、全く共感せず何もピンとくることなく、苦痛と共に終わったのだが、この発声法の後で古事記や万葉集、源氏物語を読んでみると、躓くことなく滑らかに読めるので音読が楽しい。すっかり平安貴族になって和歌なぞ詠んで居る気分で楽しいったらありゃしない。古典文学の背景にある歴史や文化をもっと知りたいと思ってしまった。ね、これが魔法なんですよ。

子供への効果はまさに計り知れず。発声練習をすることで音読以外にも「声が大きくなり自分の意見をしっかり述べられる」「文章を読む力がつく」「頭の回転が速くなり論理的に物事を考えられるようになる」など効果を発揮するには少し時間は必要だがすばらしいおまけがたくさんついてくる。

 

私の今後の展望としては、娘との毎朝5分の発声練習&音読に加え、自分が開催している子供エコクラブに集まってくれる子供たちとも音読を始める予定である。10分位の短いスパンであれば、毎回のクラブの最初の時間に付け加えられるはずだ。その後、子供たちにどのような効果が見られるのか非常に興味深い。

余談だが、わが娘はというと、その後、学校に行き始めたのだが、そろそろ学校は辞めて、自分がカタカムナの先生になり、カタカムナの学校を立ち上げる、と言っている。素晴らしいぞ!ぜひ頑張れ!!

 

最後に、偉大なる知の巨人、魔法使い、奇跡の人である松永暢史先生に多大なる感謝を申し上げて「私と娘のカタカムナ音読講座体験記」を終わりたいと思う。

曽我先生

「100%子どもの味方」のメソッド

私は小学6年男子の母、専業主婦である。子供がまだ幼児のころ、これといった育児の知識も方針もなく、ただひたすら絵本を子供に読み聞かせていた。そんなある日、書店で松永先生の著書「将来の学力は10歳までの読書量で決まる!」が目に入り、購入し読んで「これで行こう!」と私の育児方針が決まり、その後も何冊も先生の本にお世話になった。その中の一冊に「未来の学力は親子の古典音読で決まる!」もあり、カタカムナを時々子供とそらんじていたが、発声は自己流、他の古典を読むことはなかった。

時は流れて子供は小学校最終学年になり、私の一人時間も増え、社会で何か活動できないかと考えるようになった。数年前に松永先生の講演会を聞きに行ったことが縁となり、よく参加していた自然派お母さんのグループおひさまのおうちから「日本語音読指導者養成講座」の案内が来たとき、このタイミングの良さに感謝、迷わず参加することにした。

 

現在私たちが話している日本語は、当然前の時代から受け継がれてきたものであり、その始まりはいつかと時代をさかのぼっていくと、カタカムナという文献にたどり着く。古いものから音読していくことで日本語をより理解できるようになる。受験でも大学でも会社でも日本語がまかり通っている日本社会、日本語に精通し、言葉を自由に操ることは最優先事項である。松永先生の音読法はそのカタカムナを読むことから始まる。まず、それらが発声されていたであろう口の形と動きを習得、練習をする。一音一音ごとに区切って丁寧に発声していると、一音一音が力を持っていることが感じられる。そして、講座のメンバーと声を合わせて音読した時に現れるユニゾンの美しさは例えようもない高揚感をもたらしてくれる。講座はカタカムナを読むところから徐々に時代を新しくし、古事記、万葉集、古今和歌集といったたくさんの人に読まれていた古典を現代にいたるまで何通りかの読み方で読んでいく。時代の古いものは一見意味が取れないが何度も音読していくことで自然と意味がわかってくる。4か月間の受講の末、指導者として認定されたので、試しに息子と甥に基礎発声を教え、一緒にカタカムナを音読してみた。学校での成績に自信を持っていない二人であったが、一音一音区切って発声することは難しくないため、自信をもって生き生きと声を出している。そして、声を出すことは勉強っぽくないしおもしろかったようで、進んで次の古典も教えてほしいとリクエスト。勉強が嫌いな子供たちが先を争い目を輝かせて音読し、部屋は声の二重奏、「これならできる!」と子供の確信が伝わってくる。日ごろから松永先生が子供にコンプレックスを与えてはいけない、良いところ興味あることを見つけて伸ばしてあげるべきだと言われているのが体得できた瞬間であった。この音読法は間違いなく子供の味方である。

 

勉強を好きになれず自信のない子供たち。音読道場を開き、彼らと声を合わせて古典を音読したい。彼らに「100%子どもの味方」の音読法を教えたい。初めにその古典について教えたら指導者ではなく子供たちが主役である。楽しく音読し、自信をもって自国の言葉を紡いでほしい。日本に生まれ、正しく日本語を使い、また次の世代に引き継いでいくことは日本人として当然である。しかし、昨今の教育では自信のない子が多かったり、またコロナ禍におけるマスクの影響で口元が見えず声がくぐもり、日本語の行方が危機的状況にある。こんな状況を改善できるひとつの方法がカタカムナ音読法。松永先生が長年教えてきてすでに十分な実績もある。取り組んでいけば誰でもできるようになる。一人の指導者として、この音読法が広がっていくよう力を尽くし、子供たちの明るい未来をのぞかせてもらえたらと願っている。

本庄先生

①養成講座を受けたきっかけ

カタカムナ音読を知ったのは十数年前、下北沢の自然食レストランに吊り下げられていたチラシを見て、音読会に参加したのが始まりです。その後、しばらくブランクありましたが、書店で見つけた松永先生の本に挟まれていたチラシで知り、「親子の古典音読」の出版記念講演会(文京区で開催)に家族で参加しました。今年3月、ウェブページに掲載された春夏日本語音読指導者養成講座募集要項を読み、直接、先生に音読法を学び、指導者になる夢を湧かされる一方、会社員(神奈川事業所勤務)のため、平日金曜午前、都内開催の講座参加は厳しそうだと思い直し、一旦、申込みを見送りました。しかし、数日後、参加できそうだという考えが浮かび、具体的に検討したところ、働き方改革の流れやコロナ禍で見直された勤務形態を活用できれば、なんとかなりそうだと分かりました。受講希望時はキャンセル待ちでしたが、その後、参加を許可されました。

②音読の効果について
人の話やテレビドラマのセリフが明瞭に聞こえ、また、古典の音読が前より楽になりました。

③その後の展望
地元で音読・作文・サイコロ道場を開設して、子どもたちに教えつつ、カタカムナ音読の取り組みを継続し、さらなる高みを目指します。また、道場で学んだ子どもたちが、成長し、さまざまな分野で、個性を発揮して活躍している姿を見られたらと思っています。

須田先生

勉強を語源から始めたら、子供のつまずきも少なくなるのでは。と感じていた所、この音読養成講座がある事を知り、勢いで参加したものの、音読。。。奥深く。

 先ずは我が子からと、時間をみつけては子供のそばで一人で音読。次に子供と一緒に発声したりしていたら、子供の方が暗記して一人で音読。意外と抵抗なく受け入れるものなのだと感じています。

 この音読に触れ、直接松永先生の発音を聞き、大人達の大合唱の場に居た事で、私も子供も、古典を身体で感じながら、遊び感覚で体感できたこの講座は、ワクワクするような楽しい時間でした。

 まだまだ未熟な発音と知識ですが、もう少し自分の中で深め、幼い子供達に教えられるような活動を模索していきたいです!