養成講座受講者のエッセイ

2期生のエッセイ(2022年度)

齋木先生

①養成講座を受けたきっかけ

私が養成講座を受けたきっかけは、音読への信頼があったことと焦りからでした。

私は高校時代のび先生の生徒で、音読法を直接教わりました。当時は意味も分からず音読していましたが、音を響かせて1音1音区切って読むと何故か古典の点数が上がるという実体験がありました。当時、志望校を決める時に「行けても地元の短期大学だろう」と言われていたにも関わらず、無事4年制の大学に合格することができたため、音読すると何故か国語力が上がるという信頼が受講前からありました。

焦りとは、大学卒業後就職しても長続きせず転職を繰り返し、何か手に職をつけたいと思っていました。音読を学ぶことで日本語了解能力や文章力を伸ばし、今後の職業に活かせたらと思い受講しました。

②音読の効果について

養成講座を受ける前は、音読を習慣化しておらず、たまに音読しても意味を考えず読むだけでした。高校時代のび先生に予習してもらった源氏物語、大鏡、扇の的等は得意でしたが、江戸以降の文章には苦手意識があり、テキスト全体を通して理解度にはバラつきがありました。

講座を受けて音読を習慣化した結果、年代問わず文章を声に出して読むだけで意味が分かるようになりました。高校時代に学校で古文を現代語訳させられてもさっぱり分からなかったのが不思議なくらい、頭の中に言葉が入ってきます。英語を日本語訳する時のように少し考える時間も不要で、音読するスピードのままで意味が通り文章から情景が浮かぶようになりました。今では現代文とそこまで差異がありません。

また、『古典をそのまま読んで理解できる』ことの副産物として実感できた効果もいくつかありました。

音読で名文のリズム感を入れることによって、作文が書けるようになるだけではなく、文章の推敲が速くより良くできるようになりました。声に出して自分の文章を読んでみると、リズムに違和感がある時は何か変だなとすぐに気づくことができます。名文の『違和感のない良い文章の状態』が身体に染み付いていると、違和感があるとすぐに分かり手直しできるようなのです。

次に、何より楽しいから続けられました。

私は高校時代、センター試験対策ばっかりやらされるのに嫌気がさして勉強に関して匙を投げたことがあります。興味ないことへの継続力に欠ける人間ですが、音読に関しては楽しんで自発的に続けることができています。

このように楽しいと思えるのは、この音読法は

成功体験を積み重ねやすいからでした。

古典の名文を繰り返し読んでいると、読める→なんとなく意味が分かる→すんなり意味が分かる→文章が書けると段階的に自分ができるようになっていくのが分かりました。

自分の自信に繋がるので、古文に苦手意識がある人はもちろんですが、発達障害等で学校に馴染めない、自分に自信をなくしがちというお子さんにもぜひ音読はやってみてほしいなと思います。

また、私は聴覚過敏で大きい音や雑音が過度に苦手、聴力は問題ないのに人の声が聴き取りづらいという特徴があるのですが、音読で一音一音の違いがはっきりと分かると以前より聞き返す回数が減りました。音読には、リスニング力を上げる効果もあると感じています。

③その後の展望

今後は、大人向けのオンライン講座を受けて音読や作文を継続しつつ、京都道場が開設したら講師をしたいと思っています。私が今楽しい!と思えているように、音読で古典が楽しいと思える人が増えるようこの音読法を伝えていきたいです。

大南先生

私は、小中高校生を対象とした学習塾を経営しています。

塾は、単に偏差値の高い学校に合格させたり、学校のテストの得点を上げることだけを目的とせず、子ども達に生涯にわたって使える学力を身につけてもらい、最終的に「社会で活躍できる人を育てる」ということを目標に掲げて、授業をやっています。

そんな中で、子ども達の能力を伸ばせるメソッドにはいつもアンテナを立てており、また国語力を伸ばすことについて力を入れていることもあり、松永先生の著書『未来の学力は「親子の古典音読」で決まる!』は、5年以上前に本屋で見つけ読んでいました。

ただ、当時は「古典の音読で子どもの成績が伸びるなんてすごい方法があるんだな~」と思ったものの、自分が古典をそこまで好きでなかったことと、低学年の生徒があまりいなかったこともあり、その本は一度読んだきりで本棚に長らく眠っていることになりました。

そして時は過ぎ、数年前から日本の歴史を学び直す中で、「日本のルーツは何だろう?」ということに興味を持つようになり、日本最古の歴史書である「古事記」を読んだり、日本のやまと言葉について学んだりするようになりました。その中で、日本には中国から伝来した漢字以前に読み書きの言葉があったということを知り、「ホツマツタエ」や「カタカムナ」と呼ばれる神代文字というのが存在することを知りました。

そして、とあるご縁で知り合いになった友人も「カタカムナ」を学んでいることから、その友人の紹介でカタカムナ勉強会に参加するようになりました。そこで学ぶ中で、子ども達の勉強に「カタカムナ」を使った指導をして大きな成果を上げている松永先生のことを知り、書籍『カタカムナ音読法』を読んだことがきっかけで、音読指導者養成講座を受講することになりました。

自分自身がこの音読法を数か月実践をしてみて感じることは、まず「音読するって気持ちいい!」ということです。そして、松永先生の話がとにかくおもしろいし、なぜ昔の日本人は頭がよかったのか、その要因が古典の音読だったということに、自分が体感することで肚落ちしました。そして、自分でもさらにこの学びを深める中で、日本語の一音一音に意味があることや、その豊かな言語表現に、改めて魅了されていきました。

また、長年の子ども達の勉強を見てきて、幼少期の学習環境や大人の関わりが、子どもの脳を発達させることに決定的に重要だということを強く体感しました。そうして、自分自身も幼児教育にも取り組みたいという思いが募り、今後はこの「カタカムナ音読法」を使って、新たに幼児教室を展開し、子ども達の学力を伸ばしていきたいと考えています。カタカムナ音読法を学んだ子ども達が、10年後、20年後にどんな成長をしてくれるのか、今から本当に楽しみです。

冨沢先生

松永先生の「親子の古典音読」の本に一番初めに出合ったのは、3人の子供たちがまだ幼く小学生だった頃です。その頃は、カタカムナの不思議なウタヒに興味が湧くも理解することが難しく、触れたことのある万葉集、古事記を気が向いたときに音読する程度でした。

しかし、そのようなゆるい実践の中、変化が訪れたのは、一番下の女の子でした。万葉集って何?古事記とは?出来る範囲の説明は、するものの…関心があるのならと子供向けに書かれた万葉集を渡したのが更なる成長の礎となっています。あれから2年の歳月を経て関心は、万葉集より枝葉のように伸び、分かれて、すくすくと成長をしています。見守りながら、子育てがこんなに楽しく幸せなことないと松永先生に感謝する日々です。

 こんなに音読によって、子供の能力が開花するのであれば、私自身も学んでみたいと思い立ち現在に至ります。学んでみて思うことは、本を読んで自己流で理解、解釈することとは、全く違うということです。文章の時代背景はもちろん、その時代の文化、思想、生活、信仰、災害から、作者、登場人物の境遇、人となり、人間関係、取り巻く自然環境など、歴史に残る銘文の奥の奥、表現細部に宿る膨大な情報を今までの人生でこんなに意識したことがあっただろうかと思います。学ばせていただいた4か月間は、かけがえのない宝物のような学びの時間となりました。

 今後の展望については、子供たちの成長を見守りつつ、必要とする人、機会の巡り会いがありましたら、松永先生、前田先生から御教授頂いた教え、学びを心を込めて伝えていきたいと思っています。

佐藤先生
『養成講座を受けたきっかけ』
 わたしが、こちらの養成講座に興味を持ったのは、わたしの今まで学んできたものが社会で表現できるのではいかと期待したからです。
 わたしは独身の頃、リハビリ病院の回復期病棟に勤務していました。
 けれど、そこに辿り着くまでは、人様の3倍の月日を要しました。なんと、看護専門学校に5年9ヶ月在籍し、5年10ヶ月目に退学し、その流れで3ヶ月後に准看護学校に入学し、准看護師としてご飯を食べてきたのです。人様よりも長く在籍していた間、テレビを見て鼻をほじって過ごしていたのではありません。苦手な実習に活かすためにと、自ら病院を探し、ボランティアとして病棟に入らせてもらったり、自閉症の子ども達の放課後デイサービスでアルバイトを経験したり、こども病院の院内学級にもおじゃまさせてもらいました。そして、5年目は看護助手として病院に勤務し、夜勤も経験しながら実際の医療の現場を肌で体感し、介助を通してエビデンスを学びました。しかし、実習という名の実技テストでの合格に至らず、悔しい涙を流しました。涙の乾かぬ間に、准看護学校の入試を受け、有難いことに免許取得まで至ります。
 青年期の、一番輝かしい時期を「わたしは、劣等感を抱きながら学生をしてきた。」ということがコンプレックスでした。
 けれど、出産というイベントで、これらの人生が帳消しになったかのような、わたしの人生最大のご褒美と言える我が子に出会えるという体験をしました。
(今では、毎日の育児に疲弊しておりますが。。。)
 我が子が、か弱い姿で娩出された時、叫んだ40時間の陣痛が吹き飛び「一番がんばったね。」と涙が溢れました。
そんな、愛おしいという言葉の意味を教えてくれた我が子を守りたいという思いから、
「わたしが存在しなくなった世界で、誰が守るのだろうか。」
「わたしが居なくなった後の世界で、我が子は生きていけるのか。」
という不安から、日本の問題など様々な分野を学びました。知れば知るほど、海外が羨ましくなりました。
 そんな時、日本や日本語の素晴らしさを知りました。
・ダサいと感じていた母国語には言霊が存在すること。
・虫の声を美しいと感じるのは日本とポリネシアだけであること。
・犬やニワトリの鳴き声は国により聞こえ方が違うこと(日本語はハッキリ表す)。
日本語って凄いな!とはじめて、日本語におもしろさを感じました。
 わたしのなかで、どこかのタイミングで日本語のおもしろさを伝えたいという気持ちが芽生えました。
 今まで学んできたこと、わたしだからできることをしたい、と感じています。准看護学校を卒業して10年経ち、今、やっと看護学生として過ごした時間を認めることができるようになりました。この時期は、わたしの人生における汚点ではありません。わたしの強みです。ただ正直、この音読メゾットに20年早く出会っていたら、理解する力が身につき卒業はできていたのかな?と感じますが。耳にタコの「人生の肥やしになる時期」という薄っぺらいものではありません。
 学歴とは無縁の人生ですので、日本語のおもしろさもお伝えできる場を創ることができるのがこの講座の魅力でした。この音読道場に出会え、わたし自身の伸び代が広がりました。この循環を広げることで、更に多くの人の伸び代も広がっていくと感じております。
『今後の展望』
第一子の妊娠中に、子ども同士でルールを創りながら外で遊ぶことの大切さを知りました。更に、子どもの野外保育生活から外遊びや自然の中で遊ぶことでの発達の大切さも知りました。
そこから、音読と外遊びを掛け合わせられないかと考えております。
近くの自然の豊かな公園などで、大きな声で発声や音読をしたいと考えております。少人数制にし、鬼ごっこや木登りなど自然の中で過ごす時間も作りたいのです。
ヘリオセントリック(学び中)や四柱推命(学び中)から、特性・能力を読み解き、お子さん自身やご家族が気づかれていない部分の才能を自覚できるようにもお伝えもしていきたいと考えております。
対象:幼児〜小学生低学年
※教室はただ今準備中です。
また今後、プレママさん、ママさんを対象として音読の場を作りたいと考えております。
高木先生

① 養成講座を受けたきっかけ

  

2022年9月10日(土)私は探していたカタカムナの本を購入しようと、西荻窪へ向かいました。

前日電話でお昼頃到着する事を伝えた際に、店主の方が「12時頃ですか、あの~カタカムナに興味がお有りですか、明日は13時から丁度何年かぶりにカタカムナのお話会がある日なんですが宜しかったら・・・」と、思い出した様に親切に情報を下さいました。

驚きながらも何かのタイミングだと思い、何も解らず参加したのがカタカムナ音読法でした。 

塾講師の松永先生は『僕はカタカムナの事はわからないけどカタカムナを学びたいならこの音読した方が早い!!』と☝指を立てて真顔で仰ってました。この時私は体中 ??? でした。

脳の中にある脳幹に母音を響かせると、なぜか皆頭が良くなっちゃうのよ~と長いキャリアから多くの生徒さんを見続けた実体験の深い実話を聞いていくうちに私の???は消えていきました。

 

② 音読効果について    

 

この日の体験音読後は体が軽くなり、不思議ととても気分が良かったのを覚えています。

そして毎日発声して解ったのは、物忘れをしても思い出す時間が短くなったり、体が温かく肩こりがなくなりました。(笑)

母音発声で大きく顎を動かす事による喉、首などの筋肉が鍛えられ、脳の活性化や内蔵にも響く音である事もあとで知りました。

 

③ その後の展望

 

今後は健全な心身を保つ、一つの手段として貢献出来る事を望みます。

雑穀料理食事(勉強中) + 音読 + 和語(勉強中)

 

★ 私の心に残ったものは、松永先生の『コレは、何を始めるにも何歳であっても全ての人がやったらイイとおもっているよ』という言葉です。

   本来の教育育成を続ける音読に、偶然?にも知ることができたご縁を本当に有り難く思っています。  

  一音一音意味のある日本語が凄いと思ったと同時に愛国心が強くなりました。   

若松先生

①養成講座を受けたきっかけ

 松永先生には、前田先生が主催されている東京ソーヤの奥多摩古民家焚き火の会にて、初めてお会いしました。

    私はかねてより、ひきこもりの子たちをいかに⁈とキャリア開拓に取り組んでおりまして、“生きる”ことそのもの、小くても個々につながる社会構造改革が必要と感じていました。

 私自身が病弱っ子だったのでそうなのですが、ひきこもりの子たちは息を潜めて生きている事が多いです。“声を出せるには?”と悩み、防災のCAPプログラムと松永先生の“音読道場”のどちらを?先に?と悩み、大きな声が常に必要な松永先生、前田先生の“音読道場”に入れて頂きました。

 

②音読の効果について

 子たちが何かを身につけていく時、その子自身がアウトプットを“日常化”“習慣化”できる事は大切だと思います。さらに周囲の環境も…。

 音読道場テキストに世阿弥の一説があります。中に「子は気をうしないて…」とあります。気を失うは、“やる気を失う”という意味ではあるのですが、私はこの段に来ると“気を失うって⁉︎どうよ”と、不謹慎ながら、ついつい笑ってしまいます。

 世阿弥は、親は子どもの自発的な動きに方向性だけを与え、導くのが良いという考え方を示している訳ですが…

 

 子たちとの話しから翻って、ご高齢の方々とお話しすると、「小さい頃は遊んでいた記憶しか無い」という方もおられ…。また、「子ども達のためにやれる事ってあるの?」と聞いて来てくださる方もおられます。

 

「ん⁈これは爺ちゃん婆ちゃん達に、世阿弥化して貰えば、何か失われた環境が取り戻せるのでは無いか?」と、最近は考える様になりました。

 

 説明すると長くなるのでこちらではお話ししませんが、国境を渡ってビジネスをしている華僑の方々の生き方にも、この傾向は見られます。

 

③その後の展望

 極力、自然の中で、多様な人々が集まり、“古典音読”ができる事を目指したいと思っています。

三輪先生

①養成講座を受けたきっかけ

自分にとって今までの大切な点と点が繋がってきたところに音読道場養成講座のことを知りました。

 

松永先生には「わが子は最低点法で勝つ」というご著書で出会い、国語力の大切さや日本人のポテンシャルを弱めるためセンター試験が取り入れられたという見解に大きな気づきを与えられました。

またその前だったかに松永先生が東京の自然食店でカタカムナの音読会をされているという情報が近くの自然食品店に置いてありお名前が印象に残っていました。

 

30年以上前に「カタカムナ文献」(と同時に「竹内文書」にも)に出会い、それから日本という国についてあらためて考えるようになりましたが、国土言語民族等学校では教わらない日本国の不思議を考えるにつれ日本の底力を感じています。

 

その他の点としては30年以上前から言霊というものを追い求めていて、言霊とは何か?どう使う?言霊の宿る古語はどんなもの?などと模索していました。

このことは後にカタカムナ研究者の関川二郎氏の「カタカムナ単音豆字典」という書物に出会い、日本語には同音異義語が多いのですがさらに一音多義という概念を明確に的確に説明してくれていてよくわかり、日本語言霊への疑問に対する解答が得られたようで本当に嬉しかったです。しかしながらそれを使いこなせるか?は別問題で、ホッとしたぶん途切れてしまい〈つづく・・・〉の状態でした。

 

また30年以上前京都に住んでいた頃お能を習っていて(流れで習うことになったという消極的な理由ですが)とにかく初歩は一音一音はっきりと切って発音するということをしっかりと練習しました。

このことは25年ほど前に祝詞を学ぶ機会があり日本の伝統的な言霊学を継承されておられる宮司より言霊力の発動する祝詞奏上法を教えていただいたのですが、その言霊力が発動するという発声法がまさに謡の発声法と同じだったのでびっくりしたものです。その発声法で祝詞をのると確かにいくつかの不思議な霊験あらたかな事がらもありました。

そして祝詞はその時期熱心に練習しましたら、その頃自宅塾を開いていましたが教材の古文が訳さずともわかるという体験をすることになり狐につままれたような感じになりました。これは松永先生がおっしゃっている「わかる」という感覚だったのでしょうか。

 

しかしながら塾を開いていたのにそこで音読をするということは思いつかず残念。さらに仕事が塾だったので、子どもが帰ってくる時間帯から仕事が始まり終わるころには子どもは寝ているという生活形態だったため、子どもと音読をする習慣を持たなかったことは痛恨の極み。

 

このようなことがあったのですが、それからもとぎれとぎれに有志を募っての祝詞の奏上やカタカムナの勉強をしたりしていたのですが、このところまた継続的にしていきたいなと思っていたところどのようにしてか養成講座にたどり着くことができ、締切り過ぎにもかかわらずお願いして2期の講座に参加させていただくことができました。

 

 

②音読の効果について

 

今回の講座を受けて気付いたことは、近代文の回で速く読む・リズムよく読むと、頭が

すっきりするだけでなく身体が軽く柔軟になる気がしたことです(若い方々はあまり気付かなかったかもしれませんが)。

昔からの早口言葉は実利を兼ねた遊びだったのかと思う次第です。

 

そして音読道場には5つの読み方があり、ののしり読みはまだうまくできませんが、これらの読み方を修練していくことで頭の働き方・身体の動き方などが多様になるのではないか、何か新しい発見があるのではないかなどと楽しみになります。

 

また今回の受講生の方で外国語にもなれ親しんでいる方が「音読をすると外国語も分かるようになる」と言われていたことを聞いて、縦(時代)の流れもわかるのなら横(今現在)の様々も分かるのかと感銘を受けました。

外国語を日本語に訳すには外来語としていかようにも取り入れやすいが日本語を外国語に訳すのは難しいといわれます。外国語のことはわかりませんが音読の場として外国の人たちにも提供していくのも面白い展開があるのかもしれないと思いました。

 

 

③その後の展望

 

音読の場として対象を老若男女を想定しています。出発点は決まっていますが到達点は決められません。音読をすることで人が変容し変態していったらこれほど面白いものはないかもしれません。

 

シュタイナーのある著書で、日本語のことを指しているのではありませんが「母音言語が人間の霊性を高める」と述べられていました。シュタイナーはオイリュトミーというダンス運動で「AEIOU」の母音(の意味)に象徴的な動きを結び付け、動きながら発声することで身体の中に母音を落とし込み浸るような試みをしています。

日本語は一音毎に必ず母音が付くという典型的な母音言語といわれます。多大な被害をもたらした震災や津波といった大災害の中でも礼節や思いやりを忘れないという日本人ですが、それは一音多義の母音言語が関係するのではないかとひそかに思います。もしそうであれば国籍に関係なく日本語を母国語のようにしゃべる人たち皆に言えることではないかとも思ったりします。

 

AIが発達すると早い時期に左脳的な記憶演算といった働きはAIに替わられそうですが、未知の領域と繋がったりそこから情報を降ろしてくるような直感やインスピレーションの部分は、まだまだ人間独自の能力として大事になってくると思います。

音読をすることで心身が柔軟になり、自分の感性をオープンにしてその人独自の領域からいろんな情報を降ろす、人の評価を必要とすることなく自分にとっての正解を生きる、そんな人が増えれば風通しよく楽しくなるのではと思ったりします。

 

今まで幾度も離れたり戻ったりを繰り返したカタカムナや発声ですが、松永先生が体系づけてくれたメソッドでこれからは継続的に修練し伝えていけたらと思います。

 

椿先生

音読指導者養成講座受講のキッカケ 

 

カタカムナの勉強をしている中で、松永先生のカタカムナ音読法の話が上がり、と ても興味を持ち調べると、丁度『カタカムナ音読法』の本が出版された直後で、即 購入、拝読。

 

 非常に興味を持ち、ネットで調べるとタイミングよく 9 月から指導者養成講座が始ま るとのことで、速攻で申し込みをしました。 フランス在住のため、日本時間朝 10 時からの講座にリアルタイムで参加するのは 無理があり、全て動画視聴での受講でしたが、フォローアップを前田先生が開催し てくださり、一人一人丁寧に確認、指導してくださったので、通信講座でも全く問題 なく海外からも参加出来たのは非常に良かったです。

 

 一音一音ハッキリと母音を意識して発声すると、体の軸が整って来るのが分かりま す。

 また、聞き取りが以前より良く出来るようになり、他言語、例えばハンガリーのマジャー ル語なども、良く分からないはずなのに、なぜか聞き取れなんとなく意味が取れてい るという面白い体験をしました。 英語やフランス語などの聞き取り力も音読法を学ぶ前と比べると格段に上がって 来ているように感じます。 

 

ハーフのお子様の日本語指導にカタカムナ音読法を取り入れると、日本語力アッ プに繋がるのではないかと思い、機会があればハーフのお子様を持つお母様方へ サークル活動の一環としてカタカムナ音読法をご提案出来たら、と思っています。 

 

今後の活動ですが、カタカムナを伝えて行きたいという想いがあり、しかしながら難 解で意味が良く分からない、というお声が多いので、カタカムナウタヒ 80 首、カムヒ ビキ、カムナガラノミチをカタカムナ音読法で音読する会を開催して行きたいと思って います。 並行して、古文にも触れて行く、音読読書会なども開催出来たらと思います。

松本先生

私は数年前まで小中学校で国語の教員をしていました。授業の中で何度も音読をして、生徒にもさせてきましたが、すらすら上手に読める子が学力が高い傾向にある反面、何度練習しても上手に読むことができず学力が低い子がいることに気づいていました。けれども『音読指導の教え方』は誰にも習ったことがなく、なにかいい資料はないかと本屋さんをうろうろしていて出会ったのが松永先生の『カタカムナ音読法』でした。そこからすぐに2期生の養成講座に申し込みました。

 

 さて、養成講座を受けて基礎発声をしていた頃のことです。私が現在働いている塾で、担当している小学生の子がテストの問題文を正しく読むことが難しく、どうしたものかと頭を悩ませていました。保護者の方と相談して、基礎発声から音読の指導をやってみることになりました。基礎発声を初めてわかったことは、その子は『ゆ』と『う』の区別がついていないということでした。コロナ禍で長いマスク生活を強いられる中、ちょうど言語習得をする時期に口の動きが見えなかったことの弊害かもしれないと思いました。そうして発声練習と並行して国語の問題集に取り組んでいたら、全然問題を読むことができなかったその子が一人で問題集を解いているのです!!「読めるの?」と尋ねると「読めるよ!」と笑顔で答えてくれたのです。ゆっくりではありますが、一人で読めていることに驚きましたし、保護者の方もとても喜んでくださいました。

 今後も一人でも多くの子たちの「できた!!」という笑顔のために音読練習を続け、、私自身も努力を続けていきたいと思います。

佐々木先生

小学生の頃、音読が好きでした。

音で本を読むのが好きだったように記憶しています。

音読好きな子ども時代を送りましたが、大人になってからはもっぱら黙読。

 

どうして私が音読の指導者になりたいと思ったのかというと、勘です。

自分の子どもが松永先生とカタカムナの音読をしている姿を見た時に、理由もなく、私も(音読の先生を)やりたい!と思ったのです。

でも無理だな、勉強を教える事も出来ないし、とその気持ちに蓋をしておきましたが、講座の教科書でもある「未来の学力は「親子の古典音読」で決まる!」を、子どもと競うように読むのが楽しかったです。

 

それから数年が経ち、2022年の夏から、音読道場講師養成講座が始まりました。

これはチャンスと、秋冬の二期生として講座を受講する事にしました。

 

講座が進めば進むほど楽しくなりました。

カタカムナ読みに一音一音読み、祝詞読み、説法読み、強く読む、速く読む、読むことが楽しくて仕方ない。

 

ただ、楽しいだけではなく困った事もありました。

私は歴史の勉強が大の苦手なのですが、音読の勉強をすると歴史に触れないわけにはいきません。

皆さんが知っているような事実を、私は初めて知るという事が多々ありました。

しかしながら、あれほど嫌いだった歴史に興味が湧き、知りたいと思うようになったのです。

今は音読と共に、楽しみながら歴史の学び直しをしています。

 

知的好奇心をくすぐる仕掛けがある、仕掛けができる音読。

何より、音読が楽しい。

 

人間は学びながら大きくなる、知らないことを知りたいと思う心がある。

音読は子ども達が勉強したい・学びたい・やりたいことがある時の力に、また、学びたい・知りたいという思いが湧くきっかけになると思います。

 

子ども(大人)達と音読をする機会を作っていこうと思います。

まずは音読に関心を寄せられた親御さんからでも、親子一緒にでもいいですね。

私のように、大人の音読も。

 

音読を通し、自分の声を通して学んだことが、自分への自信や信頼につながるように、音読をお伝えしていこうと思っています。

 

なりたいと思った”音読の指導者”になれて、嬉しいです。

井ノ口先生

1 養成講座を受けたきっかけ

 2022年6月の花丸子育てカレッジ「ADHDタイプ脳の子どもの最高の伸ばし方」

をzoomで視聴し、初めて松永先生を知りました。落語家のようにテンポよく話される松

永先生に圧倒されながらも、先生が実感されている「古典音読が子供に与える効果」に

ついて興味がわきました。それは『古文を大きな声で音読すると国語力が伸びる』、と

いうものでした。わたしはこのことに妙に納得してしまったのです。なぜかというと、

自営の英語教室で英文音読をしっかり練習している生徒たちの英語力が伸びるのを15

年以上の指導の中で確信していたからです。

それから、松永先生のご著書を読みあさりたくなり、近隣の図書館に行って探しまし

た。松永先生の教育関係の本は図書館にたくさんあり、しかもその中の2、3冊はかつ

て私が図書館で借りて読んだことのある本でした。図書館でも松永先生のご著書を読み

返しましたが、この講座を受講した決め手は松永先生の最新のご著書「カタカムナ音読

法」を購入し読んだことでした。このメソッドで国語力が育つことを知り、ワクワクが

止まりませんでした。

2 音読の効果について

 最初に母音と子音を一音ずつ大きな声で発生するのですが、このコロナ禍で大きな声

を出していなかったせいか、腹から声を出すことすら容易にはできませんでした。日々

の風呂場での発声練習の効果を感じることができたのは二カ月以上たったころでした。

三か月目に入ると、腹から声を出すことが気持ちよくなっていて一種のストレス解消と

なりました。また、私は「え」段の口の形が上手くできずに脳内で確認しながら一音ず

つ発生していたのですが、それも一カ月を過ぎると意識しなくても「え」段の口の形が

できるようになっていました。できなかったことが訓練によってできるようになった、

という経験は今後の音読指導にも生かしていこうと思います。

 古典音読を続けていると、例えば早朝の散歩のときに「春はあけぼの。やうやう白く

なりゆく山際、少し明かりて、」と、ふとフレーズが脳内に湧き出てきます。それが何

とも自分の体験と言葉が一致していて気持ちいい瞬間でした。体得してゆくというのは

こういうことなのだ、と体験できました。

 更に音読練習を始めて3カ月経った頃にカラオケに行って気が付きました。速いテン

ポの歌を歌うのが楽になっているではありませんか。若者に人気の速いテンポの歌を気

持ちよく歌うことができるようになりました。

3 その他の展望

 今春、「古典音読」+「英語フレーズ音読」+「ビジョントレーニング」を組み合わ

せて、脳内をフル活用する基盤を作る新コースを作る予定です。マスクを取り、お互い

 

の表情をしっかり見ながら大きな声で発声し、これからの未来ある子どもたちと一緒に

人生を楽しんでいきたいです。

赤瀬先生

①養成講座を受けたきっかけ

自分が音読法と出会ったのは、妻の同僚の知り合いの方から勧められた「カタカムナ音読法」という本でした。

そこには、言葉を一音一音切って読むとよく意味がわかるようになることや、響きを意識した発声についてなどが書いてありました。

自分は学生の頃から暗記とテクニックで国語を乗り越えてきていたので、文章を読むことも書くことも全然面白いと思ったことはありませんでした。特に古文や作文というのは大の苦手で、できるだけその分野は避けて生きてきました。

しかし、この本を読みながら、半信半疑で古文を一音一音切って読んでみると、本当に何となく話が理解でき、初めて読むことを楽しいと思えたのです。また、基礎発声についても、自分自身で響きを感じられた時には頭がスッキリし、気持ち良さを感じました。

教えることが好きで、以前は教員をしていましたが、やりたい事とやらなければいけない事のギャップで退職し、もう教育に関わることはないかなと思っていましたが、やはり教える事自体は好きですし、教員をしていた当時から感じていた国語力の低下も気になり、音読指導者になれば、学校とはまた違う形で教育に関わっていけるのではないかと思い、受講しました。

 

②音読の効果について

現在、放課後児童クラブで支援員をしているのですが、そこで学校の宿題を見るときに、国語はもちろんですが、算数の問題文のポイントを掴みやすくなって、悩んでいる児童に考え方のヒントを伝えやすくなった気がします。

 

③その後の展望

まだ具体的に、どこで、誰と、どんな風に音読をするかは決まっていませんが、できるだけたくさんの子どもたち(大人も)に伝えていきたいと思っています。

田中先生

(1) 養成講座受講動機

私が、音読道場の講座を受けてみたいと思った動機は主に3点在りました。

1、 現在61歳で、定年退職後の第2の人生をカミさんとカフェを生業として、歩んでおります。サラリーマン時代から、第2の人生では、「どんなに小さいことでも、何か祖国の為になる、祖国に恩返しとなる志事に取り組みたい。」という想いを持ち続けておりました。

2 、サラリーマンの管理職時代、年々新入社員の、日本語の乱れ、心に響く伝える力の低下に、危惧を感じていた折に、天皇家に伝わる言霊学を学ぶ機会に恵まれ、日本語の偉大さをしっかり伝えていく重要性に遅まきながら気付かされた

 

③ ①の想いと②の気付きを抱き続ける中、松永先生のカタカムナ音読法の書籍と御縁が生まれ、内容に深く感銘を受け、この音読法を、微力ながら、カフェの舞台を活用して伝えていく事が、私にとって、「日の丸を背負って生きていく事になるのでは?」と志を持てた為。

(2) 音読の効果

学生時代、古典には苦手意識しかありませんでした。そんな自分が、テキストの課題を音読していく中で、苦手であった作品に愛しさを覚え、その繊細な表現に、改めて日本語民族として生を持てた悦びを持てた。又音読道場で、母音発声の響きの重要性を学んだことで、毎朝奏上している祝詞の祓い効果がアップしている実感を持つことが出来た。

 

  (3)今後の展望

 

“如何に音読で、日本語民族として、自信を持って、自分の想いを伝えられる子供の育成”に、カフェ業という舞台を活かして、貢献していけるか?地域顧客にとって相乗効果のあるビジネスモデルの構築に挑戦していきたい。

長谷川先生

〇養成講座を受けたきっかけ

 

南総里見八犬伝を原文で読みたかったからです。

それほど大きく変わらない金額なら、指導者までとっておこう、というのが始まりです。

この講座を知ったきっかけはフェイスブックで発酵食つながりの方が「カタカムナ」につ

いてオンライン講座をされた際に松永先生のご著書「カタカムナ音読法」を紹介されたこ

とですが、読むうちに引き込まれ音読をしてみたくなり、サイトにアクセスしました。

要綱を読めばそこに「八犬伝」。

決まり。

スケジュールの確認だけして5分後には申し込んでいました。

子育て中の専業主婦に、自由なお小遣いなんてあるわけではないのですが、受講料は深く

考えずに。ポチ。

そもそも、素読・音読をしたかったのは4年前にさかのぼります。

当時子育てに悩み、夫と過ごす時間に悩み、栃木県を中心に全国で講演会をしていたアド

ラー心理学カウンセラーの鈴木稔先生のもとで「志塾」の20期を受講した時のことです

教材の素読本で教育勅語がまともに読めず、まともに読めたのは神拝詞のみ。

今は小学1年生になる息子たちですが、先天性の異常はなくとも抵抗力の弱そうな早産児

の双子を育てるのに何かと気にして1、2歳の頃はほとんど自宅に引きこもっていました

私は、言葉がすぐに出てこなくなる時期がありました。

夫と話すにも言葉に詰まるようになり、これはまずいと外に出て歩くようになり、子育て

について勉強を始めます。でも、頭の回転が鈍くて志塾に通っていたころは話したいこと

もまとめられない状態でした。

面と向かっては言われたりしたわけではありませんが、まともに読めなかったことをバ

カにされたような気がして、精神的に不安定だった私は勝手に強い劣等感を持ちました。

「いつかスラスラと呼んで深いところで日本語の響きを味わいたい」と時間を作って読書

をしていました。しかし、森信三先生の「修身教授録」では知らない漢字が出てくるので

読めません。大好きな文章を意味や読みを検索しながら読み進めるのはとてもストレスを

感じますし、億劫です。

そこで明治、大正の文学でも読めば読めるようになるかな、と思い始めたところでこの講

座に出会いました。

話は変わって

八犬伝は私が高校の頃、漫画で読みふけった物語です。

好きすぎてラムネのビンに入っているビー玉に犬坂毛野胤智の「智」をカッターで彫りま

した。八犬士分彫りたかったのですが、後にも先にも満足にできたのはその一つだけ。そ

の球は今も手元にありますが、引っ越しでなくしていたと思っていました。

それが、表んなところから出てきたタイミングで講座の募集があったこと、日本人の好き

な【ご縁】を感じてしまい、受講となりました。

いま

 

受講し終わって振り返ってみると

立派な志があったわけではありません。

それでも、受講して手に入れたものは大きかったと感じています。

 

私は

ただ

単純に

日本語の響きを感じたかったのです。

一音一音

発音するたびに

どこかに置いてきた

ずいぶん昔の自分を

拾い集めて

取り戻す時間でした。

自分の目で読んで

口に出し

耳で聞いて

響きを味わい

手でページをめくることができる。

「少年に与ふ」にあるような「大事なこと」を改めて見つけられました。

私自身の言葉を取り戻すことができたことに感謝申し上げます。

 

〇音読の効果について

 

一番の大きな変化は

性格が変わったことです。

「言葉が人をつくる」ことを体感しました。

次に

頭がはっきりしたことです。

自分のしたいことや伝えたいことがクリアになり

はっきりした言葉を選び言語化することができるようになりました。

さらに

声を出しているとき

自分の中で響く音が

とても心地よく

自分が好きになれました。

 

子育てに追われ

家事につかれ

外に仕事に行くわけでもない私は

母親業をこなしてはいても

どこか劣等感を抱いていました。

しかも結構強く。

それが

音読をしてみると

古い言葉の響きになるほど

抱え込んでいた

後ろめたさや

孤独感を吹き飛ばしてくれました。

 

濁っていた頭の中を

先祖代々引き継がれた言葉が

洗い流してくれたように感じています。

千年以上昔の言葉がそのまま読める。

意味が分かる。

これは世界の言語の中でも希少なことだとどこかで読みました。

日本語を話せて良かった、と思います。

音読をするようになって

口を大きく動かすことにより、

 

顔の形が変わり

表情も変わり

笑えるようになりました。

 

ママ友から

「ハセトモ変わりましたよね!」と言われたのは

中からも外からもこんな変化があったからだと感じています。

「まずは自分から」

楽しむ姿はまわりの興味を引き付けるようです。

何をしているのか聞かれるようになりました。

もともと活動的と思いますが更に輪をかけてフットワークが軽くなりました。

一番大きな音読の効果は

孤独を感じる子育てを

外との接点を増やすきっかけになる

ということではないかと。

音読を始めたころには思いもよらなかった結果に驚いています。

 

〇今後の展望

 

食育講座×音読=お母さん向け

読書×音読=おじいちゃん、おばあちゃん、こどもたち

異業種交流会×音読=爆伸び自分磨き・ワーケーション

 

  1. 個人の環境

4月、私は鹿児島県の離島、沖縄本島に近いところにある徳之島に移住します。

今のところどんなことができるかは想像でしかないのですが、

現在の活動である、

調理をしない「見るだけ料理教室」としての食育講座をオンラインでしつつ

島の人たちとのつながりを作るためパートで仕事をしようと考えています。

昨夏に島へ下見に行った際は

保健所の新生児訪問で栄養士さんのサポートとして離乳食相談など希望の仕事があれば募集を出してくれるとのことでした。

どこまで実現するかはふたを開けなければわかりませんが、まずはキャラクターを覚えてもらおうと考えています。

 

2.子供の学習環境

徳之島には学習塾がありません。

あるけれど大手の学習塾が一つ、後は個人がいくつか、というようです。

私は、

塾はいかなくても勉強には困らないと私自身が体験していますし、今もそう考えています。

そのためには自分で考える力と素材が必要なので、自分がやって見せたら勝手に真似をしてやり始めるかという思いもあり、音読を学びました。そしてこれはうちの子以外にも共通すると考えています。

 

こどもの友達から

「あいつんちのおばちゃんに聞けばなんでも教えてもらえる。身につく。」という

近所のおばちゃんブランドを作ります。

そんな集落のおばちゃんとして覚えてもらい、道場として島の人が集まる居場所になるといいなと思います。

それは、私の生きる土台を作ってくれたのが祖母だからです。

記憶にある限り私の祖母は、なんでも知っているおばあちゃんでした。

ひとつ聞いたらファンタジーも科学的なことも返してくれる人でした。

色んな見方があることを教えてもらったことで、今の自分ができています。

いつも遊びにくる子が質問するのを楽しみにしてくれるような、そんな近所のおばちゃんを目指したいです。

 

3.食育活動で感じていること

食育講座をしていて「○○には○○用のタレ」といったように専用のものばかりが次々と出て違うことには使っていけないような思い込みをしている人が多く感じられます。

選択肢が多い方がいいのは事実ですが

物の選択肢ではなく考え方の選択肢を増やす活動として音読を使いたいと考えています。

 

みんな、

もっと

色んな情報を集めて

考えた方がいいよ、って。

そして、ちょっと難しい言葉やレシピを覚えられないなら、音読して頭を動かしたらいいと思います。

 

4.今思うこと

ビジネスの「ビ」の字もない生活の中で思うことなど、たかが知れていると思います。

しかし、その中で感じる違和感を形にしていきたいと考えています。

引越しの多い我が家です。次は海外と夫が言い出しかねないと考えています。

近いうちに(もうなっているかもしれませんが…)日本語が話せるだけで売れるようになると思っています。ネパール人がインド料理店をやっているように、海外移住となったら音読×日本語×日本の家庭料理をします。

なので、できたら、英語ができる指導者さんとコラボレーションして私自身も英語のリズムを、身につけたいと思います…。

 

講師派遣について、私の能力がお役に立てるなら

島からの移動には時間もコストもかかりますが、いろんなところに行き、たくさんの人に出会いたいです。私には三里に灸をすえて(鍼を貼り)そわそわと荷造りするイメージしかありません。お声がけいただけたら嬉しいです。

1期生のエッセイ(2022年度)

後藤先生

カタカムナ音読との出会いは、今14歳の息子がまだ赤ちゃんの頃。

自然育児友の会のイベントで松永先生のブースに寄らせていただいことがきっかけでした。

シュタイナー、モンテッソーリ 、フレネ、ホームスクールやフリースクールなど、様々な教育法を試しましたが、家庭教育のベースに常にあったのは、松永先生のカタカムナ音読でした。

 

カタカムナ音読で日本語の土台ができていたので、子どもたちは、主体的に、知的探求を縦横無尽に楽しんでいました。恐竜、爬虫類、中国史、中国古典、日本語古典、近現代史、物理や科学、音楽など、時に深掘りしたり、範囲を大きく広げたり、日本語というツールがあれば、子どもたちは、主体的に、どこまででも学んで行きます。

 

子どもが自ら主体的に学ぶので、親は本当にラクチンです。

私が子どもたちにしてあげたことは、食事を整えて身体をすこやかに保つことと、学習指導要領や評価やテストといった学びの制限を外して、子どもたちが自由に探求できるように教育環境を整えただけ。

こどものいのちが喜んでいる。そのいのちの輝きで、私自身も癒され、生命力が湧き上がる。そんな風に感じられる14年間でした。

 

こんな風に、こどものいのちの輝きで癒される子育てを、多くの若いお母さんたちとシェアしたい、というのが、音読指導者陽成講座受講のきっかけです。今後は、おひさまのおうちで、「赤ちゃんと一緒にカタカムナ音読会」を定期開催していきたいと思います。

山田先生

偶然でした。松永先生のblogを拝見していたとき、養成講座の告知が目に入りました。本当に直感で参加しなければと感じました。ウイルス感染が始まってから塾での音読を控えていたため、音読力がかなり錆びついてきている自覚を持っていました。2006年にもV–netにおいて音読指導者養成講座がありました。その時も参加して多くのことを学びました。それ以来、途切れることなく音読指導を続けた結果、子どもたちへの音読の効果はすでに実証済みでした。(具体例をあげるとかなりの文字数になってしまうため禁欲します)先生もおっしゃっている通り、この音読法の独自性の一つは古代から現代まで時代を追った配列でおこなう点であると考えています。もちろんカタカムナ音読や指導者の観察力等、先生の指導の特長が他にも多々あることは承知しているつもりです。以前松永先生の指導を受けている時に「言われてみるとその通りなのだけれども、言われるまで気がつかない」という経験を何度もしました。私自身はこのことを「知の分厚さ」と勝手に命名しています。今後、一つでも自らこの分厚さを獲得したいという目標が展望でありましょうか。

 おそらく少しずつ題意からずれてきているためこの辺りで終了しようと思います。

今回の参加で子どもたちのために地域で活動されている方々が広範囲でいることを知り本当に勇気をいただきました。どうしても普段はタコツボ状態のような中で仕事をしているため、不安感を抱えていました。教育の現状について吉田松陰の草莽崛起を連想してしまうほどの崩壊感を感じる一方で新しい営みが起こりつつある期待感もこの4ヶ月の活動を通じて強く感じることができました。本当にありがとうございました。

柳田先生

音読の始まりは子供が幼稚園の頃松永先生の講演でカタカムナの音読をしたことがきっかけでした。

その頃子供たちは楽しそうに暗唱をしていたのですが親が仕事で忙しくなったのを理由にいつの間にか中断。そのことが気になっていました。そのため今回の案内を読んで今度こそ、という思いで再スタートしました。

子供は小学5年。もうあの時のようにやらないかと思っていたら思いのほかノッてきて自ら進んで音読して暗唱。

 

こちらも楽しくなって一緒に読んでは気になることを探究していきました。子供たちも自ら進んで大鏡、東海道中膝栗毛、たけくらべなど読みだしたり、作者のこともどこかで調べてきて、食事の時間に語ったり。気づくとみんなで古典で盛り上がっていました。

 

夏休みの作文も先生に教わったスタイルを教えたら子供たちは原稿用紙四枚をスラスラ書いていました。

 

音読効果といえばそれだけではなく大きな声を出していたら、最初やや詰まっていた声がスッキリした声、遠くに響く声に変わっていき音読後に清々しい気分になるのを感じています。

 

その後は恐らく喉のあたりにある第五チャクラが活性化されてきたようで身体のエネルギーの流れもよくなり、身体もスッキリ。頭スッキリ。言葉もスラスラ浮かびやすくなり自分の思いを表現するのがスムーズになってきました。

 

子供たちの受験、自分の仕事もあるため今すぐ教室をやる、は考えていませんが今この瞬間を家族で楽しみながら広げ深め、いづれ他の方にもお伝えしていけたらと考えています。

先生、皆様、ありがとうございました。

 

曾禰田先生

私が初めて「カタカムナ」の存在を知ったのは、18歳ごろでした。
オカルトコーナーの一角にあった書籍に「謎のカタカムナ文明」の文字を見つけ、興味を持ちました。と言うのも当時の私は、オカルトを含む精神世界全般に興味があり、変容する心身に対して憧れがあったからです。

 楢崎皐月氏の様々な不思議な話など、興味を持ちつつ、ウエイト室で体を鍛えていたりしました。
やがて、ほのかな興味は持ちつつも特に深めることもないまま上京、大学生となり武道の稽古を本格的に始めました。その間も、古代文明などへの興味は続き、30歳を過ぎて天真体道に入門、稽古場を任されるに至りますが、そのうちの一つに西荻の「ホビット村学校」がありました。

 案内を見て「カタカムナ音読」が別の曜日にあることを知りましたが、ご縁は繋がる事なく、カタカムナについて書かれている「相似象」などを斜め読みしているうちに、時間が過ぎました。
天真体道創始者・青木宏之師より剣武天真流師範を允可されると、任された稽古会の名前を「天正道場」として改め、活動を開始しました。
そこに、息子さんに稽古させたいと、後藤さん(後藤先生)がおいでになりました。
多くの分野に対し勉強熱心で、様々なことをご存知の後藤さんから、ある日「日本語音読養成講座」のお話を聞きました。
以前から、オンラインを主にして学習指導しておりましたが、効果的な学習方法として注目しておりましたので、この度申し込みいたしました。
発声法については、天真体道での研究もありましたが、別角度からの学びは発見することが多くありました。音読の効果と私自身の発見として最も顕著だったのは、稽古指導における話し方、号令の掛け方と、内容でした。お陰様で私自身の、数々の改善点を見出すことができました。

 古典を読め! とは創始者の青木師から指導者へよくされる指示ですが、古典が「身体に入る」にはやはり、音読が必要です。音読の機会が増えたことで、号令の余韻、間が改善されました。また、稽古における指示も通りやすくなったと感じます。
もちろんインストラクター養成講座中にも、なぜ(なんとなくではあるけれど)古典の意味がわかるのだろう? と不思議に思うことしきりでした。
学習指導の現場で感じるのは、皆一様に「かしこく」なるということです。「かしこくなりかた」は、もちろんひとりひとり違うのですが、指導を行った中で一番顕著だったのは2歳の女の子でした。ようやく言葉を覚え始めたばかりなのですが、カタカムナ5首6首をお母さんと唱和した後、「いろはうた」を一緒に音読してみると、あれよあれよという間に覚えてしまいました。
「ひとはかしこくなる」そしてより良く生きることができる。指導者養成講座受講後、強く感じております。
今後ですが、先に書きましたとおり私は道場を運営しておりますが、その道場の活動の一環として「松永式カタカムナ音読法」のクラスを設けました。さらに2クラスを2023年1月までに開設する予定です。また先日とあるイベントに出展して体験会を開きましたが、大変に好評で「継続的に学んでみたい」とのお声もいただいております。
カタカムナ音読、天真体道を通じて、「今より、より良く生きること、より賢くなる事は誰にも可能」であり、みんなより良くなる、より賢くなる可能性に満ちていること。またそうなろうとすることに、つい私たちが考えがちな制限や困難さ、多くの人が学校生活で感じたような息苦しさは存在しない。むしろそこには楽しさ、喜び、自由が溢れている。そんなことを伝えていきたいと思っております。
この度の指導者養成講座ご指導いただきました松永暢史先生には、この素晴らしいメソッドを開発して下さったこと、コースにおいて親しくご指導いただきましたこと御礼申し上げます。今後ともご指導いただけますよう、お願い申し上げます。
最後となりましたが、ご紹介いただき、ご縁を繋いでいただいただけでなく、様々なお手配に尽力された後藤さん、各種お手配を始め、講座の指導、松永先生のサポートを行なって下さった、前田先生はじめスタッフの皆様には心より感謝いたします。前田先生、スタッフの皆様、また講座を一緒に受けて下さった皆様、社会教育の一環として、皆様と共にカタカムナ音読法を世に知らせてゆくお手伝いができましたら、私にとり望外の喜びです。今後ともよろしくお願いいたします。

伊藤先生

①養成講座を受けたきっかけ
長年外国人に日本語を教える仕事をしてきました。その仕事も自分のアイデンティティ探し?の中で出逢えた仕事でした。(まだ仕事にならないような時期でしたので)
30年ほどいろいろな外国の方たちに教えてきて最終的に外交官研修で1:1での理想的な環境で教えることができました。そこで、私が気づいたのは教えたい相手は外国人ではなく日本人だという事でした。日本人に日本語について伝えたいという想いがムクムクと大きくなってきていました。
仕事を辞してメンタルコーチ、日本語のコミュニケーショントレーナーというタイトルを創り、活動をしてきました。日本語のコミュニケーションを扱ううちに、音を出す身体と日本語の音の関係などに興味を持つようになり、自分の身体を使って古武術、ボイトレ、イタリア歌曲、謡などを学んできました。古武術の先生のご縁で松永先生の荻窪のカタカムナ音読の講座に出逢い、以来ご本やブログなどを通じて先生のなさる音読を見学したいと常々おもっていたところ、この音読指導者養成講座ができたのを知り、まずは自分の身体を使って古典音読を体感したいと思い、参加を決めました。

②音読の効果について
4か月の研修を終えて、人体実験で大人でも古典を訳さずに楽しめるという先生の言葉を実感しています。そして、一番気づいた変化としては文章が書きやすくなったことです。
メルマガ等を書くときにはけっこう時間がかかっていましたが、今はアタマに浮かぶことばを書き進められるようになりました。そしてその文章を少しおいておいてあとで読んでみてリズムのよいように言葉の順番を換えたり、もっとリズムのよい言葉を捜すなどしています。そのおかげで書くことが楽しく思えるようになっています。
また、自分が好ましいと思っている文章はリズムのよい文章だと気づきました。

 

③今後の展望
親子向けに、幼少教育をしている友人のところで音読をやらせてもらう予定です。
そしてフリースクールでは日本語のクラス(すでにあるクラスでカリキュラムにも多少関わらせてもらっている)に音読を加えさせてもらい、古典から通時的に日本語の音を体感してもらいながら、同時に共時的に現在私たちが使っている日本語を世界の中の言葉としてみた時の特徴などについても情報を提供したいと思っています。世界の中の日本語についてよい音を身につけながら、ほかの言葉を学んでいくときの準備にもなるような日本語のクラスにできたらと考えています。

また、同じような内容を大人向けにも提供していきたいと思っています。
大人向けには古典音読を通して本来日本人が受け継いできた日本語の音を古いものから順番に学ぶことにより日本語を母国語にする人として誇りを持って日本語を発信できるようになる、そんな体験を多くの人たちにしてもらいたいと思います!

また、外国人の日本語教育にも初級に音読を取り入れられたらいいと思います。特に移住した人たちの子弟のためには音読から学んでもらう方法は効果的だと思います。
母音の数の多い言葉を使っている人にとって私たち日本人のあいまいな発音は聞きにくいと思います。よい発音を耳に入れて読み書きにつながれば異文化理解も進むのではないかと思っています。

やってみたいことがたくさんありますが、とにかく一人でも多くの人たちに簡単にお金もかからない方法でよい音を出すことを体感してもらい、現在の私たちが受け継いできた誇れる日本語を自分の一部として味わいつつ、自分の考えや感じたことを率直に言葉にできる人を増やしていきたいと思います。
下り坂と言われるニッポンに仕合わせな社会が実現できますように。

水田先生

8年前から3年間、おひさまのおうち主催のカタカムナ音読講座に、当時8歳、4歳、0歳の子どもを連れて参加しました。下の子どもたちはその場で遊んでいたり、おっぱいを飲んだりしているだけでしたが、上の娘は私と一緒に音読をしたり、書いた作文を皆の前で読んだりしていました。毎回家で作文を書かせようと、私は娘を急かして焦っていましたが、娘はマイペースでなかなか書こうとせず、気づいたら白紙のノートを持って、堂々と作文を発表するようになっていました。

私自身が子供のころから塾に通っていて、桜蔭、東大と進学したものの、自分が何をやりたいかが分からず、勉強以外の部分が大事だなと漠然と思っていました。それでも、娘の同級生がほとんど塾に通う中、塾に通わないという選択は勇気のいることでした。

結局娘は松永先生のお世話になり、塾にはほとんど通わずに、公立中高一貫校に合格しました。元々娘は口が達者だったので、音読の効果を感じたことは特になかったのですが、この時初めて(娘の国語力はカタカムナのおかげかな?)と思いました。

また、男の子には言葉が伝わらないというイメージがありましたが、息子たちとはきちんと言葉のやり取りが出来るところに、カタカムナ音読の効果を感じています。

私自身、学校の先生に手紙を出すときなど、自分の中から言葉が出てくるようになったことを感じています。

今、多くの子どもたちが塾に通うのを見ていると、子どもを塾に通わせることが、いい親であることの証であるかのように思えます。サッカーを一緒にやっていた友達が、塾通いで次々と辞めていく姿を見ていると、塾に通う以外の生き方はないのかなと思ってしまいます。

主人が会社勤めに疲れてしまい、「自宅で塾をやりたい」と言い出した時に、「子どもに教えるなら、カタカムナからだよ!」と、迷わず指導者養成講座を受けることにしました。

子どものために親が出来ることとして、とりあえず塾に通わせる、以外の選択肢があることを伝えたいと思ったからです。

主人は今後しばらくは会社勤めを続けることにしたので、自宅を塾にする話は保留になりましたが、来るべき日に備えて、まずは子どもの友達で、興味を持ってくれる人に音読を伝えていきたいです。

村上先生

養成講座を受けようと思ったきっかけは、3月におひさまのお家で開催された松永先生によるカタカムナ音読法のワークショップを取った時に実感したたくさんの学びがあり、それをぜひ自分の子供にも教えれるようになりたいと思ったことからでした。

それまでは松永先生のことは全く知る機会がなく、音読や、一般的に教育法というものにもともとあまり興味はなかったのですが、松永先生の教育への考えに共感するところがとても多く、また発音をしっかりやるという本当に基本なことが、人間が生まれたときに備わったありとあらゆる本当の能力を引き出す方法であるのだということにカタカムナの発音方法を実際やってみて感じました。

この養成講座で教わった「あいうえお」という日本語の基礎となるものは現代の日本語からは本当にかけ離れたもので、練習するだけで最初は顎がいたくなるほどでした。

でもこ松永先生の教える「あいうえお」の一つ一つをやることによって、自分を通じて自分の耳をも育てているのだなと実感しています。うちでは子供を3ヵ国語(日本語、英語、フランス語)で育てているのですが、子供には私にはない微妙な音、発音を上手に聞き分ける能力が備わっています。カタカムナを始めてから、私も少しその能力が上がったと実感するようになり、微妙な音の違いがわかりまた発音できる容易な耳・口になってきました。(また子供にも私のフランス語の発音が良くなったと言われました!)

この講座でまた日本語の美しさを体で味わうという今までしたことのない経験もできました。意味を解読するのではなく、古文の音、響き、そしてそこに浮かんでくるイメージと、感動的な美しいものがあったとは・・・。本当に言葉を今までと違った次元で楽しめることができる時間でした。

今の私にできることはこの美しい言葉と感性が備わった日本語を正しく日々使うこと。それだけでも大きな課題になりそうだなと思っています。この養成講座から学んだことを活かして私はこれを子どもたち、そしてご年配の方にも、口を動かし、顎を動かし、響きを楽しむということだけでも味わっていただけたらいいなと思っています。

原先生

①「養成講座を受けたきっかけ」

私は数年前にV-net教育相談事務所の一員となり、教育活動を続けていく中で松永先生の教えに触れておりました。前田先生が一般社団法人EDORG JAPANを設立されて、全国に向けて松永式メソッドの講師を育成するということで、「これは絶対面白い展開になる!このチャンスは見逃せない!」と思い、受講を決定しました。

 

②「音読の効果について」

私たちが音読したのは『カタカムナ』の超古代語に始まり、古代の『古事記』や『古今和歌集』、中世の『平家物語』や『徒然草』、近世の『本町永代蔵』から近代の『学問のすすめ』、果ては『教育勅語』に『日本国憲法』と、まさに現代に続く日本語クロニクルでした!

 

超古代から連綿と続く私たちの言語がどのような変遷をしてきたのか、しかもそれは時代の変化による漫然とした変容ではなく、先の時代を生きた天才たちによって創作され、それが後の時代の人々の言語に影響して成立していった、人の営みの産物であるという当たり前の事実が、音読することでよく理解できました。

しかも私たちは言語の歴史というこの国の経験を、その時代の文章を音読するという行為を通じて、一個人の中で追体験することができる、これは驚くべきことだと感じております。

 

この効果は何よりもまず受講生である私たちの変化という形で現れました。

回を追うごとに皆さんの発声が目まぐるしく向上していく、それも声が綺麗になったとかそんな単純なことではなく、一人一人の声が共鳴し、ひとつのウタイとして作品の世界が立ち上がってくるような体験には感動を覚えました。

地理的、歴史的背景知識を整理した上で、この音読を続けていけば子どもの頭は間違いなく良くなる、これは受講生の間ではよく了解されることと思います。

 

この私の感動と、この音を子どもたちに伝えること、それは意味のある仕事であるように思えます。

 

③「その後の展望」

私は今回の講師養成講座を受講して、改めて日本語の音読を子どもたちに続けていこうと決意を新たにしました。

この音読の輪を全国に広げていきたいです。

 

全国で音読の活動と趣味のカヌーを続けることができるような、理想の未来の実現に力を尽くしていきたいと思っております!

石田先生

昨年の11月頃のこと、千年後の子孫たちに何が残せるのか?そんなテーマを掲げて『千年のしあわせ』と言うワークショップを以前一緒に主催した伊藤さん(伊藤先生)と久しぶりにZoomで話す機会があった。お互いの近況等を話していると、『カタカムナ』と言う共通の話題が出て来た。『カタカムナ』についてはいろんな書物が出ていて、一部の間ではでっち上げのインチキと言われたりしている。

私の中では、その不思議な成り立ちを含めて何かとても氣になるものとして、興味の赴くままアンテナを張っていることを話すと、伊藤さんからは『カタカムナ』の音読で、子どもたちの学力を飛躍的に伸ばしている家庭教師の先生が書いた本を紹介された。川上から川下へ、古典を音読して学んでゆくと、その後の現代文が楽になり、国語力が育まれると結果他の教科の成績も自ずと良くなるとのこと。学生の頃古典も漢文も大嫌いだった私には、にわかに信じがたいことだったが、日本語の最も川上となるのが『カタカムナ』であると聞いて俄然興味が湧いてきた。早速、伊藤さんからは紹介された本、「未来の学力は『親子の古典音読』で決まる!」を購入して、本で書かれていることが本当かどうか、二人の人体実験を始めることにした。伊藤さんが既に購入していた、本の作者松永暢史先生のDVDを基に、週二回Zoomを繋いで、まずは音読の基礎となる母音と子音の発音の練習からスタートさせる。一緒にワークショップを主催している頃から二人共「音」には敏感で、「共振・共鳴」にこだわっていたので、DVDに合わせて発声するのは思いの外楽しい時間だった。回を重ねて母音の音を探求してゆくと、不思議なことに周りの人たちの発音や、発する言葉により敏感になるのを感じた。特にお仕事で接する若い人たちのいい加減(?)な発音が氣になるし、相手の言っていることを聴き取る力がかなり後退していることに改めて驚かされる。時代の移り変わりの中で、日本語がある程度乱れるのは致し方ないこととやり過ごしていたが、実はあらゆる問題の根底となり得る深刻な「歪み」となっているのでは思うようになった。

 

昨年末から始めたDVDによる二人の人体実験。動画の中で、何回も松永先生からダメ出しされてもめげずに頑張る小笠原君に励まされながら、回を重ねて2、3ヶ月経った頃「いつかDVDである程度音読をマスターして、松永先生に会えたらいいね。」と話していたら、何と4月から音読指導員養成講座が始まると案内が届く。動画の中の松永先生か直接教われるチャンスが、そんなタイミングでやって来るとは。これは受講しなさいと言うなのか?まぁ、受講料も何とかなるでしょうとエイヤット申し込み、伊藤さんと一緒に音読道場の門を叩くこととなった。

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②音読の効果について

 

普段何氣なく使っている日本語。あまりに当たり前過ぎて、その特徴や魅力などを意識したことは無い。寧ろ文法が、他の英語や仏語などとかけ離れているからこそ、日本人の外国語の習得が困難になっている厄介な言語としか思っていなかった。が、実際松永先生の発する音に耳を傾け、カタカムナを始めとする古典の音読を進めて行くと、日本語に対する考えが一変してしまう。何と奥深い響きを持った、美しく、魅力的な言葉なのだろう。真の響きを捉えて、みんなで音読して共振・共鳴する氣持ち良さは格別だ。「音」を知る事で世界が広がる。「音」の中に当時の様子や場面が織り込まれていて、音を再現することで、作者たちの息遣いさえも伝わってくるような感覚になる。千年前の私たちの祖先との邂逅である。何と厚みのある言語なのだろう。二千年以上の長い歴史の中で積み重ねられ、語り継がれた言葉がここにあるのだ。

私たちの祖先は、音の響きからあらゆる意味を汲みとり、大自然の一部である生命(いのち)の無情さや儚さ、今のここに発露するものの正体を見事に捉えて、5つの母音を響かせる。シンプルであるが故に、底が見えぬ程の深みのある美しい世界を描写して教えてくれる。まるで大海原の真ん中で漂う小舟のような小さな自分の存在に心許なさを感じる一方で、そんな言葉を生み出し育んだ日本人の一端である喜びと誇らしさを感じる。

古典を触れることで、こんなにも世界が広がるとは、想像を遥かに超える収穫だった。子どもの頃に触れられたらどんなに良かったか、学生の頃古典嫌いだった私は心底思う。この素晴らしい音読の世界をあらゆる人たちと共有したいが、特に子どもや若い人たちに知って欲しい。日本語の奥深さや、繊細な感覚に触れることで、私たちのDNAにある古来の知恵を掘り起こし、本来持ち合わせている各々の個性を発揮させることで、この混沌とした時代を共に切り拓いていけたらと思う。

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③その後の展望 

 

7月に音読指導者養成講座を修了してから、一ヶ月経った。子どもの国語力を飛躍的に伸ばす究極のメソッドを使って、誰と、どうやって遊ぼうか?いろいろ想いを巡らせている。

 

誰と?

・お腹に赤ちゃんのいるお母さん

・小さなお子さんとお母さん、お父さん

・小学生や中学生の子どもたち

・学校の成績を何とかしたい親子…

 

このメソッドの発案者は、長年、家庭教師として活躍されて来た松永暢史先生だ。多くの子どもたちと向き合って試行錯誤を繰り返しながら生み出されたものなので、他の学習塾や進学塾に例を見ない素晴らしい実績に裏打ちされている『究極のメソッド』であることは間違いない。(詳しくは、こちらの本を読んで頂きたい。)

 

だから、いろんな子どもたちや親御さんと一緒に体験して遊んで欲しいと思っている。

 

そして、親子向けだけではなく、

私のように古典の授業が嫌いだったけど…日本の良きモノに触れて、マンネリ化した日常に彩りを取り入れたい年齢に関係なく好奇心旺盛な素敵な大人たちにもぜひお勧めしたい!!

 

「言葉」の認識が変われば、

「思考」が変わる。

 

「思考」が変われば、

「行動」が変わる。

 

「行動」が変われば、

「習慣」が変わる。

 

「習慣」が変われば、

「人生」が変わる。

 

今の「言葉」の成り立ちとなるカタカムナを始めとする素晴らしい古典文学に触れることで、日常の「言葉」の認識が変わり、自ずと「思考」も変わり、その影響は私たち大人にとっても大きなものとなる。

 

実際、私自身、自分の行動が少しずつ変わって来ているのを感じている。

 

こんな面白い遊び道具は中々無いと思うが、どうだろう。

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金先生

今回の講座のことを知る前はカタカムナというものの存在もその名前を聞いたことがあるという程度でした。体験の機会にも都合が合わず参加できなかったのですが、少し聞いてみたところではとても神秘的な感じを受けたので、どんなお話が聞けるのか楽しみでした。

また、これまでもスペイン語、日本語、英語と何かしらの形で語学を教えることに携わってきたので、なにか新しい視点を得られるかもしれないとも思っていました。さらに、今自分の子どもたちが学校に通わない自由な教育を選んでいることもあって、語学だけにとどまらず物事を学んでいくための方法にはなんでも関心がありました。

我が家では寝る前に絵本や児童書の読み聞かせをしているのですが、講座を受け始めて少しすると自分が以前から発音しにくいと思っていた言葉がそれほど気にならなくなったように感じました。小学3年生の娘とも自宅でカタカムナ音読を復習していましたが、すぐにとてもたどたどしかった音読が少しスムーズになったようでした。家では引き続き取り組んでいこうと思っています。

この夏からこどもたちの家として、乳幼児親子や小学生、中学生、もちろん協力してくれる大人たちも、様々な人が立ち寄って交流できる場所をオープンしました。その場所でも、立ち寄ってくれる人たちと取り組んでいきたいと考えています。小さい子どもたちが親子で遊んでいる合間などに少しの時間カタカムナ音読に取り組むコーナーを作ってみるのもいいかなと思っています。

様々な人と気軽に取り組みながら変化を楽しんでいければと思っています。

平居先生

日本語音読指導者養成講座への参加経緯は3つあった。

 

一つには、この養成講座を開講し、指導にあたるというのが松永暢史先生、その人だったからである。

 

ベストセラーとなっていた松永先生の育児書、教育本のいくつかは既に読んでおり、感銘を受け、自身の子育ての参考とさせていただいていた。

 

また、以前の小学校、学習塾勤務時代の実体験から、松永理論の妥当性は身をもって実感もしていた。

 

今まで、教育関連の書籍は数百冊は読んでおり、松永先生の著作はその中でも5本の指に入るほどのインパクトがあり、かつ、読み物として純粋に面白かった!

 

その本の中には、まず、自身が現場で培うことでしか手に入れることができないであろう、血の通った理論があり、そして、理念が感じられた。

 

なんといっても、学生の時分より現在に至るまで47年間、家庭教師のアルバイトを、食いぱっぐれることなく、継続させ、家族を養い、家まで建てたというのだから、たくさんの子供たちを教え、導いてきたその手腕と実績はもはや疑いようがない。

 

そして、受験のプロとしてだけでなく、この松永理論は単なる受験テニックには収まることない、普遍的なヒトの能力開発メソッドの可能性に非常に浪漫を感じた。

 

また、根源的な学びの愉しさに満ちていて、自分にとって相性が良かったということもあるのだろう。

 

なにより、やってみて「面白れー」ということに尽きる。

 

やっていて、つまらなかったり、面白くなかったら、いくら良いと言われるものでも、継続は難しい。

 

それがそこらの凡百の教育書、育児書に書かれているメソッドと異なる点でもあった。

 

この松永理論を参考に、自分の独自の理論も織り混ぜながら、一人娘である長女の子育てを現在に至るまで行ってきた。

 

おかげさまで、娘は今年、都内にある国立大付属中に入学が決まり、現在、楽しそうに学校生活を送ることが出来ている。

 

松永理論なくして、できなかったことであったと実感している。

 

松永理論の根幹にある「音読」そして「焚火」は自分も大好きで、娘が小さなころから、ことあるごとに、キャンプや焚火にでかけ、音読も一緒によくやっていた。

 

ただ、音読に関しては、今回、参加した日本語養成講座で学んだ系統だった古典音読ではなく、自分の好きな中島敦や小林秀雄の評論、シェイクスピアやゲーテの一節を娘と一緒に声に出して読む程度であったので、今思うと、音読というよりも、素読に近かったのかもしれない。

 

そんなわけで、松永メソッドを開発者から直接、指導を受けられるという講座の開設は自分にとって、非常に魅力的であった。

 

そして、講座参加への二つ目の経緯としてあったのは、カタカムナへの興味、関心だ。

 

この日本語音読メソッドの根幹には、カタカムナの謡いがあるときき、それを体験したく、参加を決めた。

 

カタカムナという言葉をはじめて聞いたのは20代のフリーター時代で、カタカムナの図像がある日、突然、脳裏に写しだされ、人外のメッセージを受け取るようになったという怪しい人物と出会いがきっかけだ。

 

当時の自分よりも10歳くらい年上で、ダメージジーンズに革ジャンのミュージシャン然とした40代前後の人物だったのだが、実際にギブソンのギターでブルースを弾いたりと、ギターも上手だった。

 

アスリートやアーティストのトレーナーをしているとのことで、食や運動を通じた健康に関する話をしてもらったことがあるのだが、話が終わると当の本人がマルボロの煙草を美味そうに吸いながら一服しているので、胡散臭せえ人だなあと思いもしたが、自分が好きではないスピリチュアルや精神世界界隈の住人とは違った空気をまとっていたこともあり、カタカムナの図像が伝えたという主に人の健康に関わる情報を気が向くと聞きに行っていた(ただ、実際に事務所にお邪魔した時、バレエダンサーの草刈民代が来ていたり、プロレスラーや格闘家のセコンドについていたりするのも見て、認識は改まったのだが)

 

この人の話がまた、めちゃくちゃ面白く、昔、相当、やんちゃをしてきた不良だったということもわかり、健康方面や精神世界の話より、若かりし頃の武勇伝の方が面白く、話を聞いたことは、今でもいい思い出なのだが、もう少し、カタカムナのことを聞いておけばよかったなという思いがあった。

 

そんな過去の思い出もあり、カタカムナについて、あらためて知りたいという欲求がむくむくと芽生え、今回の講座参加への運びともなった。

 

そして、最終的に、参加のひと押しとなったのは、現在のコロナ騒動だ。

 

娘の受験もひと段落つき、いまさら音読の必要もないかな、と考えなかったでもないが、今回のコロナ感染拡大にまつわる日本中のバカ騒ぎをみるにつけて、これからの子供たちの未来のために自分のできることをやっていこうという思いが強くなってきた。

 

政治参加や社会活動も手段としてあるかもしれないが、自分の性にはあっていないことと何より、いい大人や老人のために貴重な自分の時間を使いたくないという思いがまず、第一にあったのだ。

 

突然だが、自分は教育は芸術だと常々、考えている。これは大学では芸術学部に在籍し、多少なりとも芸術をかじってきたこととも関係がある。

 

大学では映画学科に所属し、映画は文学、音楽、映像、演劇、あらゆる芸術表現の集積した総合芸術などと思っていた時期もあったが、ある時、教育こそが最大の総合芸術なんじゃねえのか、とふと考えた。

 

なんてたって、映画を作る者も絵画を描く者も曲を作る者も詩を書く者もみな、教育の恩恵を受け、自己の核となるその技、その思想を学び、育んできたのだからだ。

 

人を創るといったら、傲慢すぎるかもしれないが、その精華は最高にクリエイティブで、刺激的な作品とはいえないだろうか。

 

その確信は子育てを13年間をやってきて、ますます強まった。

 

今の世の中を見るにつけ、どうしようもなく、醜悪な匂いを発する人物をそこかしかで見ることが多い。

 

そして、それは今回の一連のコロナ騒動でますます、自分の中で浮き彫りとなっていった。

 

「思いやりワクチン」などとのたまいながら、若者へ毒物の接種を推し進める政治家、官僚、医療機関、マスコミ、老人たち、マスクをしろと強制してくる馬鹿、そして、それに安易に同調する大人たち。

 

自分も含め、その醜悪な匂いを発する愚民の一人であるが、腐臭を発することは最低限にとどめ、子供たちの嗅覚を麻痺させたくない。

 

身の程も知ったので、今さら、ゲバラやカストロのように革命を起こすことができるとは思ってはいない。

 

しかし、未来の世の中を変えていく、芸術的な子供たち、様々な分野で活躍する革命児たちがたくさん、出てきたら、この世の中はもっと、もっと面白くなるんじゃねえかなという欲望が湧いて出てきたのだ。

 

この思いが止まらないというのが、今の正直な気持ちでもある。

 

政治で変えるのではない。

 

つきつめると、教育でもない。

 

芸と術で世界を変えていくのだ。

 

では、その芸と術とはどのようなものであるべきなのか?

 

それは美しくもくそったれのこの世界を知るための術であり、生きてゆくための芸でなくてはならないと考える。

 

そして、今回、講座を受講し、この松永式日本語音読法は世界を知るための最良の術であることを実感した。

 

古事記より古いとされるカタカムナの謡いから音読に入り、日本文学の成立順にその精髄を味わい尽くすのであるから、世界を知るための術を手にすることができるのは、当然といえるであろう。

 

そして、それがやっていて滅法、楽しく、愉快な心持ちになるのだから、面白い。

 

前述のとおり、音読は以前からやっていたのだが、講座で学んだ「一音一音読み」「カタカムナ読み」「祝詞読み」「罵り読み」等、これだけ豊かなバリエーションの音読方法があったのかという驚きと共に、毎回の講義では、いい大人が十数名、大声で一心不乱に音読する姿をみるにつけ、これは阿呆になるための最高の訓練だなあ、我が事ながら感心した。

 

阿呆になりながら、当代一流の知性に触れ、身に沁み込ませてゆく。

 

最強の学習法を知った喜びがあった。

 

だから、もう最近はひたすら音読三昧ですよ。

 

講座で知った樋口一葉の文に魅せられ、日ごとに「にごりえ」「たけくらべ」と繰り返し音読していたら、家内や娘には白い目で見られる始末。

 

それほど、この音読には中毒性がありますね。

 

馬鹿に見られるのも結構。

 

ずば抜けて優れたものには、ある種の狂気を帯びているのですが、この音読にはそれがあります。

 

開発者の松永先生にしても、今でこそ好々爺の雰囲気を漂わせているが、時折、垣間見せるまなざしには同種のものを感じてならない。

 

要するに正しい狂い方を学んだ思いですね。

 

狂ってあちら側の世界に行ってしまったら、なかなか戻る事かないませんが、この音読を通して、容易にあちら側の世界にゆき、見聞きしたものを持ち帰り、こちら側の世界に戻ってくる。

 

薬物なんかに頼らず、逝きて還りし術を知ってしまったからには、そりゃ、たまりませんなあ。

 

さて、この術をいかに芸までに昇華させ、世の中によろこんで受け入れてもらえるかが、これからの勝負かと考えている。

 

術は一つでも芸は多様。

 

己の芸をつくり、磨いてゆかなければならないと思っている。

 

さて、どんな芸となるのやら。

 

今回、学んだ音読の手法だけを伝えて、ただ、賢い、聡い子だけを増やしてゆくの真っ平御免だ。

 

開発者もそんなことは望んでいないだろう。

 

10年後、20年後、一緒に酒を飲み、バカ騒ぎのできる子供たちへと、自分が学んできた技や術、芸を伝えていければと、今はそう考えている。

 

やりたいことは結構やってきたので、残りの人生はもう、そのことだけに費やしてもいいのかなとも、最近、なんとはなしに思っている。

松川先生

「私と娘の音読指導者養成講座講座体験記」

 

私の人生の転機は、後にも先にも娘を授かったことだ。

 

 それまでの自由な生活から一変して、初めて出会う社会の渦にいきなり「お母さん」として飛び込んでいき、暗中模索手探りで子育てをしていく中で、本当に沢山の方と知り合うことができ、私自身が一から学び直すような気持ちで日々娘の活動をサポートしてきた。また、人を「教育」することの難しさや、自分が受けてきた学校教育の矛盾点など、さまざまな疑問が生じ、彼女を通して社会の仕組みを改めて考えるようにもなった。

今回の日本語音読指導者養成講座は、私と同じように日本の学校教育に疑いをもち、子育てや教育についてよくお話しする娘の友人のお母様からの嬉しいお誘いだった。松永先生の著書は何冊か拝読し、娘と一緒に見様見真似でカタカムナ発声練習をしたこともあった。とても興味を惹かれたが、毎週通うのは厳しいのでは、と当初申し込みは保留に。だがこの大人向け講座に子供も参加できると聞き、当時自主的不登校中だった娘の居場所になれば、と考えたことが受講のきっかけである。

こうして、まるで何かに導かれるようにして、私と娘の音読講座体験が始まったのだ。あの時、娘が通常登校していたら受講していなかったのだから、まことに人の運命は紙一重である。

 

松永先生が考案されたカタカムナ音読法の素晴らしさは沢山あるが、世の中で認知されているどの教育法よりも優れていることがある。それはコストがかからない点である。気概のあるお母さんであれば、きっと講座を受講しなくても、道場に通わなくても、本屋で本を買い、先生の無料動画をどこかから探してきて、自宅ですぐに子供と一緒にスタートできる。それでも続けることで効果はあるだろうし、子供への最高のプレゼントになるはずだ。

私がなぜコストに拘るのかというと、教育とは本来無償で受けられるものだからである。お人好しの日本の親たちは、自分たちの首を絞めるくらい教育費が肩にのしかかっているのに大多数の人間がおかしいとは言わない。もっと多くの親たちが目覚めてくれるといいのだが。

例えば松永先生が西荻窪で主宰されているV-net教育相談事務所は音読の他に算数や作文などを包括的に学べる寺子屋のような場所で、いくつもの教室を掛け持ちしなくても、ここで済んでしまうのでとても合理的だ。子供たちだって好きなことをする時間が取れるだろうし、教育とはこうあるべきである。

さて、具体的なカタカムナ音読法の効果としては、松永先生から徹底的に叩き込まれる発声方法に秘密があるだろう。これは画期的な方法で、古の文献から伝承されたカタカムナウタイを読まれた先生が「日本語とは本来一音一音に意味があるのではないか」と発見し、実際に子供たちに一音一音切って読ませると、難しい古典をスラスラと読めるようになっていったのだ。それだけでなく、読んでいて意味まで伝わってくるのだから驚きだ。

私自身も古文の授業は、全く共感せず何もピンとくることなく、苦痛と共に終わったのだが、この発声法の後で古事記や万葉集、源氏物語を読んでみると、躓くことなく滑らかに読めるので音読が楽しい。すっかり平安貴族になって和歌なぞ詠んで居る気分で楽しいったらありゃしない。古典文学の背景にある歴史や文化をもっと知りたいと思ってしまった。ね、これが魔法なんですよ。

子供への効果はまさに計り知れず。発声練習をすることで音読以外にも「声が大きくなり自分の意見をしっかり述べられる」「文章を読む力がつく」「頭の回転が速くなり論理的に物事を考えられるようになる」など効果を発揮するには少し時間は必要だがすばらしいおまけがたくさんついてくる。

 

私の今後の展望としては、娘との毎朝5分の発声練習&音読に加え、自分が開催している子供エコクラブに集まってくれる子供たちとも音読を始める予定である。10分位の短いスパンであれば、毎回のクラブの最初の時間に付け加えられるはずだ。その後、子供たちにどのような効果が見られるのか非常に興味深い。

余談だが、わが娘はというと、その後、学校に行き始めたのだが、そろそろ学校は辞めて、自分がカタカムナの先生になり、カタカムナの学校を立ち上げる、と言っている。素晴らしいぞ!ぜひ頑張れ!!

 

最後に、偉大なる知の巨人、魔法使い、奇跡の人である松永暢史先生に多大なる感謝を申し上げて「私と娘のカタカムナ音読講座体験記」を終わりたいと思う。

曽我先生

「100%子どもの味方」のメソッド

私は小学6年男子の母、専業主婦である。子供がまだ幼児のころ、これといった育児の知識も方針もなく、ただひたすら絵本を子供に読み聞かせていた。そんなある日、書店で松永先生の著書「将来の学力は10歳までの読書量で決まる!」が目に入り、購入し読んで「これで行こう!」と私の育児方針が決まり、その後も何冊も先生の本にお世話になった。その中の一冊に「未来の学力は親子の古典音読で決まる!」もあり、カタカムナを時々子供とそらんじていたが、発声は自己流、他の古典を読むことはなかった。

時は流れて子供は小学校最終学年になり、私の一人時間も増え、社会で何か活動できないかと考えるようになった。数年前に松永先生の講演会を聞きに行ったことが縁となり、よく参加していた自然派お母さんのグループおひさまのおうちから「日本語音読指導者養成講座」の案内が来たとき、このタイミングの良さに感謝、迷わず参加することにした。

 

現在私たちが話している日本語は、当然前の時代から受け継がれてきたものであり、その始まりはいつかと時代をさかのぼっていくと、カタカムナという文献にたどり着く。古いものから音読していくことで日本語をより理解できるようになる。受験でも大学でも会社でも日本語がまかり通っている日本社会、日本語に精通し、言葉を自由に操ることは最優先事項である。松永先生の音読法はそのカタカムナを読むことから始まる。まず、それらが発声されていたであろう口の形と動きを習得、練習をする。一音一音ごとに区切って丁寧に発声していると、一音一音が力を持っていることが感じられる。そして、講座のメンバーと声を合わせて音読した時に現れるユニゾンの美しさは例えようもない高揚感をもたらしてくれる。講座はカタカムナを読むところから徐々に時代を新しくし、古事記、万葉集、古今和歌集といったたくさんの人に読まれていた古典を現代にいたるまで何通りかの読み方で読んでいく。時代の古いものは一見意味が取れないが何度も音読していくことで自然と意味がわかってくる。4か月間の受講の末、指導者として認定されたので、試しに息子と甥に基礎発声を教え、一緒にカタカムナを音読してみた。学校での成績に自信を持っていない二人であったが、一音一音区切って発声することは難しくないため、自信をもって生き生きと声を出している。そして、声を出すことは勉強っぽくないしおもしろかったようで、進んで次の古典も教えてほしいとリクエスト。勉強が嫌いな子供たちが先を争い目を輝かせて音読し、部屋は声の二重奏、「これならできる!」と子供の確信が伝わってくる。日ごろから松永先生が子供にコンプレックスを与えてはいけない、良いところ興味あることを見つけて伸ばしてあげるべきだと言われているのが体得できた瞬間であった。この音読法は間違いなく子供の味方である。

 

勉強を好きになれず自信のない子供たち。音読道場を開き、彼らと声を合わせて古典を音読したい。彼らに「100%子どもの味方」の音読法を教えたい。初めにその古典について教えたら指導者ではなく子供たちが主役である。楽しく音読し、自信をもって自国の言葉を紡いでほしい。日本に生まれ、正しく日本語を使い、また次の世代に引き継いでいくことは日本人として当然である。しかし、昨今の教育では自信のない子が多かったり、またコロナ禍におけるマスクの影響で口元が見えず声がくぐもり、日本語の行方が危機的状況にある。こんな状況を改善できるひとつの方法がカタカムナ音読法。松永先生が長年教えてきてすでに十分な実績もある。取り組んでいけば誰でもできるようになる。一人の指導者として、この音読法が広がっていくよう力を尽くし、子供たちの明るい未来をのぞかせてもらえたらと願っている。

本庄先生

①養成講座を受けたきっかけ

カタカムナ音読を知ったのは十数年前、下北沢の自然食レストランに吊り下げられていたチラシを見て、音読会に参加したのが始まりです。その後、しばらくブランクありましたが、書店で見つけた松永先生の本に挟まれていたチラシで知り、「親子の古典音読」の出版記念講演会(文京区で開催)に家族で参加しました。今年3月、ウェブページに掲載された春夏日本語音読指導者養成講座募集要項を読み、直接、先生に音読法を学び、指導者になる夢を湧かされる一方、会社員(神奈川事業所勤務)のため、平日金曜午前、都内開催の講座参加は厳しそうだと思い直し、一旦、申込みを見送りました。しかし、数日後、参加できそうだという考えが浮かび、具体的に検討したところ、働き方改革の流れやコロナ禍で見直された勤務形態を活用できれば、なんとかなりそうだと分かりました。受講希望時はキャンセル待ちでしたが、その後、参加を許可されました。

②音読の効果について
人の話やテレビドラマのセリフが明瞭に聞こえ、また、古典の音読が前より楽になりました。

③その後の展望
地元で音読・作文・サイコロ道場を開設して、子どもたちに教えつつ、カタカムナ音読の取り組みを継続し、さらなる高みを目指します。また、道場で学んだ子どもたちが、成長し、さまざまな分野で、個性を発揮して活躍している姿を見られたらと思っています。

須田先生

勉強を語源から始めたら、子供のつまずきも少なくなるのでは。と感じていた所、この音読養成講座がある事を知り、勢いで参加したものの、音読。。。奥深く。

 先ずは我が子からと、時間をみつけては子供のそばで一人で音読。次に子供と一緒に発声したりしていたら、子供の方が暗記して一人で音読。意外と抵抗なく受け入れるものなのだと感じています。

 この音読に触れ、直接松永先生の発音を聞き、大人達の大合唱の場に居た事で、私も子供も、古典を身体で感じながら、遊び感覚で体感できたこの講座は、ワクワクするような楽しい時間でした。

 まだまだ未熟な発音と知識ですが、もう少し自分の中で深め、幼い子供達に教えられるような活動を模索していきたいです!